招致準備8年…票読み的中、久子さま「勝負は12時を過ぎてから」 |
「まず、日本国民を代表して御礼申し上げたいことがございます」
最初にステージに立ち、東日本大震災へのIOCの支援に感謝した高円宮妃久子さまのスピーチは、総会5日前に日本を出発した後、自ら筆をとって書かれたものだったという。英ケンブリッジ大学ガートン・カレッジ卒の久子さまは英語だけでなくフランス語にも堪能で、IOCの公用語であるこの2つの言語をそれぞれ使って話された。
「皇族方は招致活動に直接関わられない」というのが宮内庁の立場だが、久子さまのスピーチはIOCへのお礼やスポーツのすばらしさを伝えながら、直接的には招致には触れないという“絶妙な”内容だった。同庁幹部はこう語る。
「久子さまは招致活動に触れずに、総会の場でスピーチをするには、どうしたらいいのか、よく分かっていらしているのだと思う」
4年前は実現しなかった皇室の側面支援は「横一線」といわれた招致レースの情勢を大きく変えたといわれる。久子さまのご出席に宮内庁は慎重だったが、安倍晋三首相や森喜朗元首相、猪瀬直樹東京都知事が熱心に根回し、実現した。
現地入りされた久子さまはIOC委員とご懇談を重ねた。名前や人数、具体的な内容は明かされていないが、ロビー活動に携わった日本オリンピック委員会(JOC)理事の一人は、こんな舞台裏を明かす。
「日付が変わって帰ろうとすると、久子さまから『もうお帰りになるんですか。勝負は12時を過ぎてからですよ』とお声を掛けられたんだ」
久子さまはその後も、IOC関係者と熱心に懇談を続けられたという。
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久子さまとともに復興支援に触れたのが、続いて登壇したパラリンピック陸上女子の佐藤真海さんだった。佐藤さんが最終プレゼンテーションのトップバッターに起用されたのは、震災復興と「スポーツの力」を実体験で語ることができるからだった。
「私がここにいるのは、スポーツによって救われたから」
宮城県気仙沼市出身の佐藤さんは、骨肉腫による右脚の切断、故郷の被災という困難を「スポーツの力」で乗り越えた自身の半生を身ぶり手ぶりを交えて表情豊かに訴えた。期待に応えるべく、前夜は入浴中まで練習を繰り返したという。
「支えてくれた人たちのことやさまざまな思いがよみがえり涙が止まらなくなった。それで気持ちがスッキリし本番を迎えられた」
会心のスピーチを、IOCのデフランツ委員(米国)は「パラリンピック選手のストーリーが胸を打った」とたたえた。
久子さまと佐藤さんのスピーチは、「なぜ東京で」という大義名分に乏しいと言われ続けた20年招致の意義を明確にIOC委員に伝える結果となった。
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華やかな舞台の裏では最後まで票読みが続いた。東京招致委員会は約100人のIOC委員の投票予測について「◎、○、△、×」をつけていた。そのなかでキーマンとみていた人物がいた。次期IOC会長の最有力とみられていたバッハ副会長(ドイツ)と、クウェート王族のアハマド委員だ。
バッハ氏には日本人唯一のIOC委員の竹田恒和氏が熱心にアプローチした。竹田氏はアハマド氏とも何回も会った。同氏は各国オリンピック委員会連合(ANOC)の会長でもあり「キングメーカー」との呼び声もあるほどだからだ。
ただ同時に「一筋縄ではいかないくせ者」との指摘もあり、8月にはマドリード支持に転じたとのうわさも流れた。東京招致委は急(きゅう)遽(きょ)、森元首相にクウェート行きを要請した。安倍晋三首相も一週間後に同国を訪れたが、アハマド氏とは日程が合わず会えなかった。6日夜遅く、首相と森氏はアハマド氏からの要請で面会した。
「熱心にアプローチしてくれ感謝している」と述べたアハマド氏は首相らに細かい票分析をしてみせた。
東京招致委は投票前夜の票読みで、1回目の投票は42票と予想した。それでも「一晩で3~5票は動く」として最後まで働きかけることを申し合わせた。結果は1回目、42票、決選投票で60票。招致委関係者は感慨深げにこうもらした。
「予想通りの投票結果だった。前回の失敗も含めて構想からほぼ8年かけてつかんだ勝利だった」
・・・ 平成25年9月10日(火)、産経新聞 10時40分配信より
私のコメント: この記事を拝見し、皆様のご尽力についてを改めて、認識する。