酒井美紀さん、今思い出しても涙が出る「白線流し」 【私の一枚】 |
当時、私は静岡に住んでいて、ロケ地の松本には身延線という富士山の山あいを抜けていく電車で通っていました。景色が本当に美しくて、乗っている間に気持ちが高まっていったのを覚えています。出演者が同世代だったので部活の延長のように楽しかったのですが、ほとんど演技経験のない私たちを、監督はいろんな意味で厳しく鍛えてくれました。
忘れられないのが、ある夜中の撮影です。高台の公園で相手役の長瀬智也さんにようやく思いを伝える場面。長セリフな上、「思いがあふれて徐々に涙が出る」を表現しなければなりません。当時の私には「徐々にあふれ出る涙」が難しく、何度も「最初から涙が出ているじゃないか!」と監督に怒られ、やり直しに。ただでさえ感情のコントロールが難しいシーンなのに、寒さで口はこわばるし。何度もやり直しになりスタッフや長瀬くんにも迷惑をかけていることで気が散ってしまうし。異例の25回のやり直しでも撮れなかったのが悔しくて悔しくて。ほとんど眠る時間もなく翌日の撮影に臨んだ思い出があります。
受験生の役を演じた裏で、実は私自身も私生活では受験生でした。ただでさえ勉強する時間が取れない上に、私が受ける大学の入学試験には小論文がありました。不安な私に高校の担任の先生が毎日、撮影の宿泊先のホテルに天声人語をFAXで送ってくれました。それをテーマに私が夜に小論文を書き、夜中に先生の自宅にFAXで送信。それをまた翌日の夜までに先生が添削し、次の天声人語と一緒に送ってくれるという指導を繰り返してくださったんです。その上、友達も私が受けられなかった授業のノートのコピーを送ってくれて。そうやってみんなが支えてくれたことは、今思い出しても涙が出るほど。多くの人に協力してもらい、時間のない中で必死に勉強し続けたあの時間は、もし「人生の壁」がきても「自分は絶対に乗り越えられるはず」という自信が得られた貴重な体験になりました。
あれから20年。今回は「めんたいぴりり~博多座版」という舞台に出演します。戦後、釜山から博多にひきあげ、明太子(めんたいこ)の店を創業した夫婦の物語です。博多華丸さん演じる夫を支える妻を演じますが、楽しくて明るく、ほろっと泣けるすてきな作品です。釜山で食べた明太子の思い出の味を命がけで完成させたい夫とそれを支える妻と周囲の人。戦後まだ食べることに苦労していた時代に、みんなで支えあって懸命に生きた空気が伝わったらうれしいですね。
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さかい・みき 女優 1993年に「永遠に好きと言えない」で歌手デビュー。映画「Love Letter」と「ひめゆりの塔」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。ドラマ「白線流し」シリーズで人気を博すと、その後もドラマ、映画に多数出演。映画「愛する」で日刊スポーツ映画大賞新人賞受賞などキャリアを重ね続ける。
◆酒井さんの出演する舞台、「めんたいぴりり~博多座版」。辛子明太子を初めて製造、商品化した「ふくや」創業者・川原俊夫氏を描いた「明太子を作った男」(川原健・著)を原作にドラマ化され人気を博した作品を、ご当地博多で舞台化。戦後間もない博多の町で、明太子づくりにおける苦労とともに夢を持つ力、そして元気で明るく生きる家族や町の人々の人情を描く。
公演期間/2015年3月6日(金)~29日(日)
会場/博多座
出演/博多華丸、酒井美紀、紺野美沙子、宇梶剛士、モロ師岡・西村雅彦(Wキャスト)、瀬口寛之、斉藤優(パラシュート部隊)、福場俊策、井上佳子、ゴリけん 他
(朝日新聞デジタル「&M」編集部)
・・・ 平成27年3月2日(月)、朝日新聞デジタル 11時4分配信より