枕崎台風犠牲者悼む京大の慰霊の集いに80人 廿日市 |
全国で3700人以上が犠牲になった昭和20年9月の枕崎台風で、京都大学は12日、廿日市市大野町にある「京都大学原爆災害綜合研究調査班遭難者慰霊記念碑」前で、70回目となる慰霊の集いを行い、大学関係者や遺族、地元住民ら約80人が参列し静かに手を合わせた。
京都大は当時、被爆者の治療や残留放射線調査のため、大野町にあった「大野陸軍病院」を拠点に活動していたが、9月17日に鹿児島県枕崎市に上陸し全国に大きな被害が出た枕崎台風では土砂崩れで病院が倒壊、患者約150人と教授や学生ら大学関係者11人も犠牲になった。8月6日に原爆の惨禍に見舞われた広島県では約1カ月後の台風で2千人以上が死亡した。
慰霊の集いではまず参列者が黙祷し、山極寿一京都大総長が「慰霊碑を前に改めて慰霊の思いと学問への思いを心に念じている。この地で亡くなられた人の御霊がいつまでも安らかであることを心から祈っています」と慰霊の言葉を述べた。その後、参列者が献花台に花を手向けた。
犠牲となった真下俊一教授の次男、真下芳夫さん(78)=山梨県甲州市=は「70年前に父が広島に向かって家を出たときのことを今も覚えている。父は広島市民を助けようと一歩を踏み出そうとしていた。さぞ無念だっただろう」と父親の面影をしのんだ。 ・・・ 平成27年9月13日(日)、産経新聞 7時55分配信より
私のコメント: 京都大は当時、大野町にあった「大野陸軍病院」を拠点に活動していたが、9月17日に鹿児島県枕崎市に上陸、枕崎台風では土砂崩れで病院が倒壊、患者約150人と教授や学生ら大学関係者11人も犠牲になった。犠牲となった真下俊一教授の次男、真下芳夫さん(78)=山梨県甲州市=は「70年前に父が広島に向かって家を出たときのことを今も覚えている。父は広島市民を助けようと一歩を踏み出そうとしていた。さぞ無念だっただろう」と父親の面影をしのんだ。皆様のご冥福を祈りたい。