【訃報】石橋義夫氏=共立女子学園学園長・理事長、元大相撲横綱審議委員会委員長 |
石橋義夫氏 89歳(いしばし・よしお=共立女子学園学園長・理事長、元大相撲横綱審議委員会委員長)18日、肺炎で死去。葬儀は近親者で済ませた。後日、学園葬を行う予定。2000年から横綱審議委員会委員。03~07年には委員長を務めた。 2015年09月25日、読売新聞 15時14分 配信より
私のコメント: 以下が、私と鳩山一郎元首相秘書を経られ、その後、1990年、共立女子学園学園長・理事長に就任された、石橋義夫氏との間における対応経緯 一部における、その概略。
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民主が提言 安倍首相の地元・山口に最終処分場
民主党は8日、福島県郡山市での党大会に会わせて開いた福島復興推進会議(本部長・増子輝彦副代表)で、東京電力福島第1原発事故からの復興に向けた中間提言をまとめた。安倍晋三首相の責任を明確化するため、使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場を、首相の地元の山口県に建設することを求めた。増子氏は会議で「原発の安全性が確立していない中、世界に向けて福島原発はコントロールされていると発信した首相の責任は重い」と批判。原発輸出の推進や原発再稼働を否定しない責任を取るべきだとして「地層的にも科学的にも検証しなければいけないが、首相は重く受け止め、自ら前面に立っていただきたい」と述べた。中間提言には、医療体制強化のための財政支援や国の関与による廃炉推進なども盛り込まれた。 ・・・2014.2.8 産経新聞 21:51 配信より
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40年迎える島根原発1号機、規制委が維持認可
原子力規制委員会は26日、来月28日で運転開始から40年がたつ中国電力島根原子力発電所1号機について、原子炉を冷温停止した状態で引き続き維持することを認可した。運転開始から30年以上がたつ原発は、10年ごとに老朽化の影響評価が必要で、40年を迎える原発の認可は昨年7月の新規制基準施行後で初めて。島根1号機は2010年3月以降、停止している。新基準では、原発の運転期間は原則40年と制限され、最長20年間の運転延長が可能だが、原子炉の強度や劣化に問題がないかを調べる「特別点検」も受ける必要がある。 (2014年2月26日11時39分 読売新聞 より)
私のコメント : 原子力規制委員会が、来月28日で運転開始から40年がたつ中国電力島根原子力発電所1号機について、原子炉を冷温停止した状態で引き続き維持することを認可された。新規制基準では、原発の運転期間は原則40年と制限されている。今後 各関係機関による定期的な、中国電力島根原子力発電所1号機 各点検作業 等の対応についても、関係知識人は、見守っていきたい。
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原発政策、語らず圧勝 山口知事選当選の村岡氏
23日に投開票された山口県知事選は、自民党が擁立した無所属新顔の元総務省職員村岡嗣政(つぐまさ)氏(41)=自民、公明推薦=が他の2候補に圧勝した。県東部の上関町では、中国電力の上関原発建設計画があるが、村岡氏は、賛否を含め自身の原発政策については触れず、争点化を避ける姿勢を貫いた。当選を決めた村岡氏は23日夜、山口市のホテルでインタビューを受けた。上関原発については「中国電力からの補足説明を待って適正に判断したい」と述べるにとどめた。上関原発をめぐっては、予定地の海域の公有水面埋め立て免許について、中国電力が延長を県に申請。山本繁太郎前知事は昨年3月、判断を1年程度先送りする考えを表明したまま、病気を理由に退任した。村岡氏は、中国電力への県としての回答についての判断を迫られる。 ・・・ 平成26年2月24日(月)、朝日新聞社 5時55分配信より
私のコメント : 山本繁太郎前知事は、就任約1年4カ月余り、通算3カ月余りの入院生活を送り、退任された。その間、上関原発をめぐって、昨年3月、その判断を1年程度先送りする考えを意思表明されている。
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共立女子学園 総務部 総務課 御中
この度は、お世話になります。共立女子学園 総務部 総務課 宛へ平成26年11月14日付け、私からの連絡メール文にて、その確認させていただいた内容に関しては、以下『ご依頼の服部一三初代校長に関しての資料は「共立女子学園百十年史」以外にはございませんのでご報告いたします。服部一三氏は、明治19年9月16日~明治24年5月の退任まで初代校長を務めその後岩手県知事に就任されました。図書館に関しましては、共立女子大学設置の昭和23年から新学制(昭和22年発足)により整備しております。』との返信メールを平成26年11月19日に拝受しました。
次に、私から、共立女子学園 総務部 総務課 宛には、再び、その確認したい内容につき、その連絡をいたします。『共立女子大学設置の昭和23年から新学制(昭和22年発足)により整備しておりますとの内容に関し、新学制 共立女子大学 初代学長 二宮丁三先生に関し、群馬県出身、東京高等商業学校卒業後その専攻部に入学して商工経営学を修め、大正三年三月卒業、明治大学、慶應義塾大学、成蹊高等学校等の講師を歴任、大正十一年から昭和十六年まで、山口高等商業学校教授として活躍し、昭和十二年より昭和十六年十月まで、山口高商教授として、市政に参与した。大正十五年から昭和三年四月まで、満三ヶ年間文部省在外研究員として欧米に留学し、金融論を研究して帰朝したが、昭和十六年十月、山口高商教授を辞任、選ばれて兵庫県立神戸高等商業学校長に就任した。・・・等』と「共立女子学園百十年史」には、その記述があります。私は、新学制 共立女子大学 初代学長 二宮丁三先生関係の著作、その資料につき、大正十一年から昭和十六年まで、山口高等商業学校教授として活躍もされ、また、昭和十二年より昭和十六年十月まで、山口高商教授として、山口市政にも参与されています関係 等もあり、よって、共立女子大学 図書館に その関係の著作、その資料所蔵に関しまして、複写、コピーができる文献がございましたなら入手したいと希望します。( 以下 省略 ) 平成26年11月19日
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服部 一三は、長州藩士槍術指南役 渡辺兵蔵の三男として、山口県山口市で誕生、安政4年の頃に郷校憲章館に入学し、明治2年末、米国 への官費留学が決定され岩倉兄弟とともに一三も留学する。アメリカ留学時は、ラトガース大学に学び、明治8年6月、同大理学部を卒業し、理学士の学位を取得した。同年8月に帰国し、翌月、文部省に入省する。後、共立女子学園 初代 校長に就任した。明治15年2月、東京大学幹事となる。また、明治13年には、日本地震学会の初代会長に推薦され就任した。
以上の内容も踏まえ、平成26年11月19日(水)、私は、既に、その内容に関係し、私からの連絡文を送信している共立女子学園 総務課へ 共立女子学園 初代校長 山口県山口市出身である服部 一三先生に関する、その問い合わせと確認を入れた。
平成26年11月21日、共立女子学園 総務部よりの連絡文を拝受し、返信文を共立女子学園 総務部に返し、共立女子学園 総務部 総務課 中原様からは、わたくしに対して、「共立女子学園 図書館 蔵書について、何を確認をして、どうしたいのか、どのようにされたいのか、何をしたいのか見えない。」と言われた。よって、私は、「来春より、HNK大河ドラマ 花燃ゆ 放映される経緯もあり、その史実にもとづいたHNK大河ドラマ 花燃ゆにおける脚本家スタッフによる放映を期待し、共立女子学園 初代校長 服部 一三先生や新学制 共立女子大学 初代学長 二宮丁三先生との関係もあり、その歴史考証が必要となるため、私から、共立女子学園における、その関係されている研究者がいらっしゃれば、紹介していただきたい旨、及び、共立女子学園 図書館 各蔵書に関し、私からのお尋ねと確認したい内容の件 等」について、共立女子学園 総務部 総務課 中原様に、共立女子学園 総務部 総務課 私の担当者への伝言を入れた。
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新学制 共立女子大学 初代学長 群馬県出身 二宮丁三先生に関し
共立女子学園 総務課より、平成26年11月20日 返信内容
二宮丁三氏につきましても「共立女子学園百十年史」に記載されている以外にお渡し可能な資料はございません。ご連絡申し上げます。 共立女子学園 総務課