蘭学資料研究会 研究報告 東京大学医学部血清学教室内 「毛利藩の蘭学」 |
蘭学修行
適塾の入門者は、まずオランダ後の教科書「ガランマチカ」で文法を、「セインタキス」で文章構成法を学ぶ。
そこで基礎を身に付けると、次の段階である原書の「会読」へと進む。
この会読は、毎月6回、1と6の日、または、3と8の日というように、5日おきに行われ、学力に応じて学級が置かれた。
各級の人数は、10から15人ほどで、塾頭、副監、1級生といった上級者が各級の会頭となる。
会読当日、門人たちは、くじによって席順が決められ、順番に数行の原書を解釈していく。そこで、参加者から内容や意味についての質問がなされ、討論が行われる。
会読が終わると、会頭は、その日の成績により、討論の勝者には白丸、敗者には黒丸、優秀な者には三角を付けた。
こうして、各級において3カ月間主席であれば進級でき、塾内で割り当てられた畳1枚の席についても、良い場所へ移動することが許される。
また、塾では原書を読み取る際、不明な箇所を他人に聞くのは恥とされたため、門人たちはひたすら辞書を引いた。
夜中も塾は眠らない。部屋の灯りは決して消えることはなかった。(続く、次回は16日付けに掲載します)
私のコメント: 松前良輔さんによる寄稿 執筆における、今後のご活躍を祈る。私は、松前良輔さんから電話取材をうけたことがありますが、その時、「七卿落ち」にかんする歴史の各考証に関しては、その助言を松前良輔さんにしました。しかし、今回の「明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は「四境戦争」から150年 ⑩ 大村益次郎」に関しては、何の連絡も、今までに、お受けしていないこと 皆様へ、私は、表明をしておきます。
この件につきまして、私が、慶應義塾大学 在学中に、福沢諭吉研究会 西川俊作教授と私との間においては、「緒方洪庵 門下生 大村益次郎 福沢諭吉 ・・・」に関しても、当時、慶應義塾大学内において、その大激論が交わされ、くり広げられていましたことについても、申し添えします。
蘭学資料研究会 研究報告 東京大学医学部血清学教室内 「毛利藩の蘭学」 昭和36年10月21日より
毛利藩の蘭学資料目録
蘭書の部
1)Roode,T.G.A.Dr.:Handboek der natunrkude van den Hollandish,vertaald door K.J.Y.Ipma.Amst.,1809 pp.1631 (mai) (Oomura)
2)Haarst,Wm.van :Natuurbeschouwingen voor jonge lieden,ter verdeling van verstand en hart.le en LeStjkje(in een boek).Amst.,1820-23
以下 省略
( 山口県立図書館 及び 山口大学図書館 蔵 )
13) 省略
14)Dr.von Siebold : Tot Gedachtenis aon mynen vriend Koemaja (Handschrift). 1829 (Hagi-Kumaya)
( 以上 萩、熊谷家 蔵 )
以下 省略
附録 大村益次郎蔵書目録 大村益次郎文書保存会
1. Kleine Oorlog
2.Tweede Afdeeling voor het Tuig.
3.Handboek der natuurkunde van den Hollandsch.
以下 省略
昭和36年10月21日 当時、蘭学資料研究会は、 東京大学医学部 血清学教室にありました。蘭学資料研究会 現況について、東京大学から、その後、当方へ連絡が、有りません。その近況については、残念ながら 存じ上げていませんこと報告します。