悼む 元通産相・佐藤信二さん=5月3日死去・84歳 |
父の背中追いかけ 佐藤信二(さとう・しんじ)さん=5月3日死去・84歳
戦後最長の政権(7年8カ月)を維持した父・佐藤栄作元首相の背中を追いかけた。1998年に父の日記が刊行された時は喜色満面だった。 父と縁の深かった竹下登、橋本龍太郎両首相からそれぞれ運輸、通産の重要閣僚に起用されたが、父の後継者然としてふるまう2人の宰相には冷ややかな視線を送り、父と誕生日(3月27日)が同じだった剛腕・梶山静六元官房長官に傾倒した。 梶山氏が98年自民党総裁選に出馬した際には、梶山氏とともに、父が率いた佐藤派を源流とする小渕派を離脱。2人に続いたのが、当時1年生議員だった菅義偉現官房長官である。その日、議員会館の事務所に押しかけると「派閥の退会届を出したよ」と言って、ニヤリと笑ったのを覚えている。 伯父・岸信介元首相の改憲路線には懐疑的。政界引退後の2009年8月、「しんぶん赤旗日曜版」のインタビューに応じた。「声高に『憲法改正』を叫ぶ前に、政治がやるべきことはもっと別にある。太平洋戦争の総括だ。国民世論は憲法改正など要求していない」。岸氏の孫・安倍晋三首相らとは対照的な考えを示した。 同年12月には、沖縄返還交渉の過程で、当時首相だった父とニクソン米大統領の間で取り交わされた沖縄への核兵器再持ち込みに関する密約文書を保管していることを公表した。取材の電話を入れると、佐藤政権末期の外務省機密漏えい事件への強いこだわりを語った。「おやじの花道はあの事件で汚されたんだ」 権力とメディアの関係を考える時、リベラルな言動に似つかわしくない、権力者に連なる肉親の「業」がにじんでいたような気がする。それが最後の会話となった。【中川佳昭】 ・・・平成28年(2016年) 5月30日 毎日新聞 東京朝刊より
私のコメント: 平成28年6月3日(金)、山口県 萩市 農林振興課 職員から、私は、私宛ての萩農林第126号 平成28年6月1日 情報開示等決定通知書 をもとに、山口県萩市役所内において、対談した。その後、萩市 自治大臣、国家公安委員会委員長についても、それを歴任された元参議院議員 吉武恵一氏 旧宅地にて、その装い新に、リニューアルオープンした 西京銀行 萩支店へ行き、萩市 農林振興課 開示書類 代金を振り込んだ後、萩市 松陰神社 境内にある 「明治維新胎動之地」 揮毫 佐藤栄作 内閣総理大臣 筆 おがみつつ、佐藤栄作先生の命日にあたる今日 6月3日、昨年 女優 井上真央氏が主演による NHK大河ドラマ 「花燃ゆ」の舞台ともなった 萩市 松陰神社を参拝した。