小町忌 /福岡 高樹のぶ子・歳時記 |
日本には他の国には無い美がある。衰亡の美とでも呼べそうな。
花なら散り際が良く、奢(おご)りの姿ではなく滅びゆく残影に惹(ひ)かれる。
衰え崩れて、やがて哀れにも無になる姿を美ととらえ、寄り添い感動する視線は、アメリカのフロンティア精神には理解してもらえなくとも、ヨーロッパの美意識を刺激することは出来る。出来た。ヨーロッパ自体が、衰亡しつつあるからだろう。
ガラス芸術のエミール・ガレも、日本人の画家高島北海(たかしまほっかい)に感化されて、枯れてゆく植物をガラス上に表現した。枯れることが美を生み出すなんて、一九世紀末のフランスではかなり新鮮だったに違いない。
けれどそんな美を受け入れる土壌はすでにあった。オペラでは沢山(たくさん)の人間が死ぬ。死ぬことで感動と美を作り出す。死の実相は本来見苦しいものだけれど、それを美に昇華する感性が、成熟した文化社会では出来上がっていた。そして舞台の上では、愛に生き愛に死すヒロインが人気を博してきた。
ただし、死すべき人は美人でなくてはならない。美人は無垢(むく)で悲運で薄命なのが好ましい。これは西欧だけでなく日本も同じである。
日本の美人といえば、まずは小野小町(おののこまち)。写真が無いので、どの程度美人かは判(わか)らないけれど、愛の和歌をいくつも詠み、老いて衰える容姿に敏感だったのは確か。
思いつつ寝ればや人の見えつらむ
夢と知りせば覚めざらましを
恋しい人のことを考えながら眠ると夢の中にその人が現れる。夢だと知っていれば覚めないでいたのに。
私の経験では、なかなかそう上手(うま)くは行かない。眠りにつくまでは祈るように好きな人の姿を思い描いていたとしても睡眠中の脳には本人の意志も希望も届かず、何やら理不尽な夢に襲われたりする。
夢と判っているなら覚めたくなかった、というのは少々理屈っぽいけれど解(わか)るし、覚めたあとで、ああもっと夢の中に居たかった、という願望なら納得できる。早春の温(ぬく)もった寝床から出たくない、甘い夢にもう一度戻って行きたい。
でもよほどでなければ戻れないのが夢、とりわけ戻りたい夢は戻れないことになっている。人生とはそんなものだ。
小町の和歌でもっとも有名なのは、百人一首でおなじみの、衰亡の哀(かな)しみに満ちた一首。
花の色は移りにけりないたづらに
我が身世にふるながめせし間に
容色は老いて衰えてしまうというのに、我が身ときたら長雨のごとくながながと生き長らえている、ただいたずらに。
この歌のおかげで、その後の小町像が作られたのかも知れない。卒塔婆小町などの凋落(ちょうらく)した姿が哀れを誘い、この世のことはすべて無常、という諦念が伝説的な美人に纏(まと)わりついた。諸行無常の平家物語よりうんと昔に、美しい歌人がその身で顕(あらわ)した無常の無残。
とはいえ小野小町九相図(くそうず)となると、すこしやり過ぎだろう。九相図というのは、死体が腐乱し骨になっていく様子を九つの経過観察図に記録するという究極のグロ図。どれほどの美人でも死すれば身体はこうなる、という見本なので一見すれば悪趣味でもある。
それでもやはり、男性にモテた女性でなくてはならないのは、男性の欲情を冷やす目的があったからのようだ。
小町に恋した深草少将(ふかくさのしょうしょう)は百夜通えば意に添う、という小町の言葉を信じて、九九夜通った末、雪に阻まれて凍死した。
小町の頑固さ強情さを伝えるお話なのだが、いくらなんでも九九夜は不自然でしょう、とは考えず、深草少将も自分への意地で百夜までは通おうと決めて実行したのではないかしら、だとしたら、これは男の恋情の切なさを表しているのではなく、頑固な男女が引き起こした悲劇を伝えているのではないかしら? と考えた女がいる。
当人もかなり頑固な上野聡美だ。頑固者は頑固の気配に敏感なのだ。
聡美は私立病院の看護師だが、融通の効かないことで同僚からは煙たがられている。そのことを本人も良くしっていた。
たとえば当直の夜、病室を見回って問題がなければ、詰め所で顔を寄せて入院患者の噂話(うわさばなし)に花を咲かせる看護師たちだが、それに加わることは無かったし、禁止されているわけではないけれど、退院のお礼で貰(もら)ったお菓子にも手を出さない。そこそこ整った顔立ちなのに、愛嬌(あいきょう)がないせいかこれまで恋愛とは無縁で、最近は自分の人生に男は要らないとさえ思うようになった。自分に向けられる男性の視線を、ひとまとめにして「不真面目な心」というレッテルを貼り、屑箱(くずばこ)に投げ込んだ。小野小町とは容姿も才能も違いがあるけれど、性格は自分に似ていたのかも知れない、などと密かに思う。勿論(もちろん)小町ファンでもある。
それを知ってか知らずか、すでに二年も入院している七〇代の男性患者が、ほら、これが小野小町だよ、とある図鑑の絵を見せてくれた、というより見せられたのが小野小町九相図だ。そんなものが在るのは知っていたけれど、初めて目にした。解剖図には馴(な)れているけれど、死体が崩壊し犬に喰(く)われ、やがて骨になる図は初めてで、ちょっと驚いた。
この男性は余命も告げられた癌(がん)患者だが、いつもニコニコと穏やかで、死を近くに感じている気配などまるでなく、看護師を驚かせるのが楽しみなイタズラ小僧のようにいつも目を輝かせている。なので、またまた悪戯(いたずら)かと、聡美は軽く相手した。
「うーん、リアルだけど……でもかなり芸術的なのかも知れない」
と良く判らない反応を返し、
「でも、小野小町って、もっと老婆(ろうば)になって死んだのでは? この女性は髪も黒々してて、若い気がするけど」 と突っ込みを入れた。人間の身体が腐敗して崩れていくとき、体内のガスが膨張して膨らむことは何かで読んだし、そのとおりに描写されている、ということはこの絵が描かれたとき絵描きはしっかり観察したに違いない。ただいつの時代も、女性の髪は老いれば白髪になるはずだ。 じっと覗(のぞ)き込んでいると、大事なものを独り占めするように意地悪く図録を閉じ、
「没年は判らないけど、もうすぐ小町忌が来る。あちこちにお墓もあるらしいよ」
「幾つで死んだのかも判らないのに、小町忌があるの? 美人って得ね」
「うん、美人は得だけど、こういう怖い姿にもなる。上野さんもグロって好きなんじゃないの?」
ニヤニヤしている。
「……お食事しながら見る絵ではありませんけどね」
「そうかな、僕は平気よ」
「でもどうしてこんなものを見てるんですか? ここは病院ですよ。あまり病院向きの絵ではないけれど」
これ以上言うと、男の生死に微妙にかかわってくるので止める。
「小野小町が夢に現れるの。何度もね」 急に真面目な声になった彼の顔を、用心深く見る。観察の視線になる。
「……でもね、小町ちゃんが現れるとたちまち夢から覚めてしまう。アア勿体(もったい)ない、もっと一緒に居たかったのにって悔しい思いが残ってしまう」
「その夢って、この九相図みたいに醜い姿なの?」
そうであれば精神安定剤か眠剤を処方してもらったほうが良いかも知れない。
「いえいえ、若くて情熱的で、それにとてもやさしい。噂では小町ちゃん、男心をそそりながらも寄せ付けない、意地悪で頑固な女だったようだけど、僕の前では全身すべてが柔らかくてひっそりとして、それに細い。上野さんぐらいの細さだ。夢と知りせば覚めざらましを、って小町ちゃんが詠んだ和歌を知ってる?」
「聞いたことあります」
「夢だと判っていれば、覚めたくなかった」
「ええ、でも、夢を見るのは小野小町の方でしょ?」
「そうなのそうなの。でも小町ちゃんが見た夢の中の恋しい男は、実は僕なの。僕も同じ気持ちだから一緒の夢の中で逢(あ)える」 聡美はあらためて看護師の意識を取り戻し、主治医に報告するべきかどうかを考えた。男の表情が、いよいよ真剣に引き締まり、目に青味が宿って、冗談にできなくなってきたからだ。
「……それでね、友達に頼んでこの図録を買ってきてもらったの。これ昼間見ていたら、きっと夢でもこんな酷(ひど)い姿で現れるに違いない、そうなれば夢から覚める切なさも苦しさも、ずっとラクになるかも知れないと思ってね」 これは七〇歳の恋か。死期を悟って、男としての情念が溢(あふ)れてくる、ということがあるのかも知れない。厳粛な心地もやってきた。それで上手く行きましたか? と問いたい気持ちを抑えて、無理に微笑(ほほえ)んだ。職業的な仮面であることを、きっと相手にはバレているだろう。
「でもね、昼間この九相図を見ていても、やっぱり夢の中ではキレイなの。骨になっても小町ちゃんはキレイなの。小町ちゃんを恋する男が九九回通った気持ちがわかるの。きっとその男は、こんな図を見ても、やっぱり恋は消えないだろうね。浅ましいのは女ではなく、男の執念なり」 男の額に汗が浮いてきた。かなり疲れているはずだ。これ以上相手をしているのは良くない。
「だったら少し眠ってみてはどう? キレイな小町さんが待っていてくれるかも知れない。羨ましいな」 図録を取り上げようとすると、筋張った手でしっかりと握り、図録を顔の上に載せるようにした。顔の上に厚い図録が屋根のように被(かぶ)さった。九相図に口づけしているように見える。図録の隙間(すきま)から息に合わせて声が零(こぼ)れた。
「こうして眠ります」
「おやすみなさい」
「おやすみ小町ちゃん。気が強いけれど本当は優しい小町ちゃん、おやすみ」 その声が湿っていたせいで、聡美ははっとなった。小町ちゃん、の声が自分に向かって放たれた気がしたからだ。仕事を終えてアパートに戻ったあとも、男の最後の呼びかけが耳について離れない。おやすみ小町ちゃん。おやすみ聡美ちゃん。そう聞こえてくる。頭を振って払い落とそうとしても、地虫の鳴き声のように絡みついてきた。小野小町にではなく、自分に何かを訴えているのでは無いだろうか。まさかそんなことはない。いやそう言えば、あらためて思い起こしてみればだが、男は何かにつけて聡美を呼びつけ、呼びつけたことを謝り、謝らなくても大丈夫よ、と言うと嬉(うれ)しそうな笑顔になった。あの笑顔には、かすかな匂いがあったような気がする。この二年のあいだの記憶が脈絡なく蘇(よみがえ)り、彼にとっての小町ちゃんは自分かも知れないと次第に思えてきた。聡美は久々に鏡に向かって、自分の顔を見た。きっちりと三五年の年月を刻んでいる。小野小町が何歳で亡くなったのかは判らないけれど、この年齢になった小町に、深草少将が九九夜も通ってくれるはずはない。けれどまだ、老いの落魄(らくはく)も宿ってはいない。中途半端な年齢だ。それとも四〇歳五〇歳になっても、小野小町はイイ女だったのだろうか。一旦恋した男は、それが本当に恋ならば、年齢など関係なく、執心を持ってくれるのだろうか。そしてそれは、九相図のようにその身は変わり果てても、思いだけは残るのだろうか。聡美はこの一〇年、仕事以外のことには関心を持たないできた。小野小町にしても、伝説の美人への漠然とした憧れ以上の想像は抱かず、男を虜にすれば自分も不自由な目に遭うのだから、まあ、仕事さえしていれば安全、という程度だった。男が女に恋したパッションを想像するのも鬱陶(うっとう)しかったから、それに応えるかどうかの女の残酷さとエゴと切ない心情についても、無頓着だった。けれど今、カルテのメモを一つ一つ確かめるように検証してみるのは、やはりあの患者のせいだった。おやすみ小町ちゃん、の声がそうさせた。これまで自分は、看護師として身体のことばかりに関心を持ってきたが、心については見詰めようとしなかった。老人にも男としての執着はあるのだ。それは面倒なことだが、在るものは在る。聡美は確かに頑固者だが、その分真面目に自分と向き合う女である。過去に出合って通り過ぎた男性達の言動、つまりカルテの中のたった一行のメモが、不思議な色合いと匂いを持って立ち現れてくるのを感じた。その程度の一行メモなら幾つか存在した。ただ、その人のことを思いながら眠れば、夢に現れてくれるだろう、現れてほしい、と思うほどの男性がいただろうかと自分に問えば、答えは、居なかった。眠るときはもう、ひたすら眠りたいだけで、夢に期待などしなかった。看護師としても人間としても、何か欠けていたかも知れない。聡美は鏡の前で反省した。すると、疲れて戻りついた時より、顔が若返ってきた。頬(ほほ)のあたりにハリが出た気がする。気のせいだとしても、変化がちょっと面白くなって、看護生時代に皆の憧れだったドクターや、通勤電車の中で挨拶(あいさつ)を交わすだけのサラリーマンの顔を思い浮かべてみた。何かが変わるとも思えないけれど、変わるかも知れない。それから一〇日後に、小町に恋した患者は亡くなった。遺体の清拭(せいしき)のとき、小野小町に逢えますように、と呟(つぶや)いたので同僚が怪訝(けげん)な顔をした。いろいろ教えてくれて、ありがとうね。<画 山下耕平> 「小町忌 /福岡 高樹のぶ子・歳時記 」 毎日新聞 次回は 4月5日 掲載 ・・・2017年3月15日、毎日新聞 より
私のコメント : 「小町忌 /福岡 高樹のぶ子・歳時記」は、毎日新聞より掲載 配信されています。