雲南と長崎の絆 |
2017年08月09日 05時11分
命ばかりか、名前までも奪う死がある。シベリア抑留を経験した詩人の石原吉郎が、ジェノサイド(大量殺戮(さつりく))の恐ろしさを随筆で書き残している。「死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ」◆死者の数が多ければ多いほど、一人一人の死の重みが薄れ、「死者数」へと置き換えられる。原爆もまた、「名を奪う死」に違いない。72年前のきょう午前11時2分、長崎に原爆が落とされた。自らも被爆しながら医療活動に尽くした永井隆博士が著書『長崎の鐘』に、あの日の人々の暮らしぶりを描いている◆「地本さんは川平岳で草を刈っていた。ぴかり、いきなり光った」「古江さんは道ノ尾から浦上へ帰る途であった。身体が宙に浮いた」「田川先生は防空日誌に今朝の警報記事を書きこんでいたが、ちょっと顔をあげて窓の外へ目を休めた」◆あの日、あの場に居合わせたというだけで背負わされた過酷な運命。私たちの誰もが地本さんであり、古江さんであり、田川先生でありえたのだと思い知らされる◆長崎の原爆死没者名簿には今年、新たに亡くなったり、判明した3551人の名前が書き加えられた。17万5743人。それは、名前まで奪い去ることを許さない、決然たる意志でもある。(史) ・・・ 平成29年8月9日、佐賀新聞 05時11分 配信より
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雲南と長崎の絆
2017年7月28日
毎年、梅雨が明けると8月9日に思いをはせる。1945年、広島に続き長崎に原爆が投下され、7万4千人余の尊い命が犠牲になった▼長崎原爆忌の1カ月前の9日、長崎市の田上富久市長が雲南市を訪れ、長崎で被爆しながら負傷者の救護に尽くした同市出身の医師・故永井隆博士を顕彰する永井隆記念館などを見学。博士にちなんだ平和学習に取り組む三刀屋小学校を訪問した▼田上市長は、手紙や絵を見つめて、核戦争のむごさを国内外に発信し続けた永井博士の信念に共感。被爆者が亡くなり、被爆体験を伝えることが難しくなっている事態に危機感を募らせ「原爆の悲惨さ、平和の尊さを次世代に伝えたい」と語った▼三刀屋小の児童も、永井博士の生涯や人柄について理解を深めた。病床で核兵器使用反対を訴えた「長崎の鐘」など17冊を執筆した姿などから、「人の気持ちを考えて行動することが平和につながる」といった感想を記した▼三刀屋小は永井博士の2人の子が通った長崎市の山里小学校と姉妹校縁組を結んでいる。10月には6年生が山里小を訪れ、合同で被爆地や長崎市の永井隆記念館などを巡る平和ウオークに取り組む▼二つの小学校の児童が絆を強め、平和の大切さと「己(おのれ)の如(ごと)く人を愛せよ」と説いた永井博士の信念を未来に語り継ぐ意義は深い。2018年は博士の生誕110年を迎える。戦後70年以上がすぎ、永井博士の功績を知らない若者たちも増えている。著書などを通じ博士の生涯に触れる好機にしたい。(道) ・・・ 平成29年7月28日、山陰中央新報 配信より
私のコメント : 平成29年8月9日、山口県知事 村岡嗣政氏 より、平29薬 第368号 平成29年8月7日、「決定期間延長通知書」が、私の許へ到着したため、また、下記の状況に関し、山口県 防府市 上田・藤井総合法律事務所 上田和義弁護士から、平成29年8月8日、私の許へ、連絡が入っていて、その対応している各 内容は、島根県下における その事案との関係があるため、私は、島根県 松江市 亀井亜紀子先生 事務所へ、連絡 入れて、その調整をおこなった。
平成29年7月21日にも、平成29年7月14日、記事 内容に関係する 地方自治体による統計処理内容に関しても、私は、山口県 山口市役所にて、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された 山口市 収納課 櫨元香恵 職員と私は対談をし、山口市 収納課 櫨元香恵 職員と私との間では、その学術上における見解の違いが、大きく、発生もしているため、 私は、島根県 益田市 総務部 総務管財課 鍵村高徳様の許へ、連絡を入れ、昨日、島根県 益田市役所にて、益田市 総務部 総務管財課 鍵村高徳 様と私が、面談した内容及び、その今後の対応に関する、見通しについて、相互に確認をしていった。 祭政一致。・・・
平成29年7月14日に、上記、下記 記事内容に関係する 地方自治体による、その統計処理内容に関しても、私は、山口県 山口市役所にて、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された 山口市 収納課 櫨元香恵 職員と対談をし、山口市 収納課 櫨元香恵 職員と私との間では、その学術上における見解の違いが、大きく、発生もしているために、 その後、私は、島根県 津和野町 総務財政課 安村係長の許へ、連絡を入れた。しかし、島根県 津和野町 総務財政課 安村係長が、 平成29年7月14日(金) 午後から、津和野町 役場に、不在なため、島根県 津和野町 つわの暮らし推進課 河良 職員と 統計調査処理、国からの センサス 調査と集計 島根県 津和野町と 山口県 山口市 総務部 情報管理課 統計調査 と その対応処理の諸関係における、違いに関して、今後の対応、今後の課題、島根県 津和野町と 山口県 山口市との間では、発生していく可能が、非常に、高いため、よって、慶應義塾大学 商学部にて、私が、統計学、産業連関分析学、等 を学び、小尾恵一郎教授、岩田 暁一教授、西川俊作教授、辻村和佑教授 等から、学んだ 計量経済学、及び、各 学事内容を踏まえ、簡略な説明を入れておく。
平成29年8月8日、愛媛県と同県今治市が獣医学部の新設提案を説明するため2015年6月に開催され、今年3月に公表されたヒアリングの「議事要旨」のやりとりだ。議事要旨には、内閣府の藤原豊・地方創生推進室次長(当時)が冒頭、「資料その他、議事内容は公開の扱いでよろしゅうございますでしょうか」と問いかけ、愛媛県の山下一行・地域振興局長(当時)が「はい」と了承したやりとりが載っている。WGの八田達夫座長は6日、愛媛県・今治市側は当初、非公開を希望していたと説明。今年1月、同学園が今治市に獣医学部をつくることが決まったのを受けて、「できる限りオープンに」との八田氏の判断で議事要旨を公表したという。
獣医学部新設をめぐる政府の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)のヒアリングに学校法人・加計学園の幹部らが同席していた問題で、公表された議事要旨の内容に、実際のやりとりと異なる部分があることが7日、内閣府などの説明で明らかになった。安倍晋三首相は、特区WGの議論が「すべてオープンになっている」としているが、その根拠が揺らいでいる。
獣医学部新設をめぐる問題に関しては、獣医学、薬学との調整も必要なため、日本獣医師会、日本薬学会、製薬業界、等 、また、今後の学校運営に関しても、それに関係する大学、獣医学部へ進学していく予定がある高等学校、教育機関、また、その関係していくであろう周辺における自治体からの承認も必要となってくる。
平成29年8月7日、山口県 情報公開センターへ 私が、提出する公文書開示請求の内容 「 平成29年8月7日、山口県薬務課 香川裕子主幹より 当該「山口県薬務行政概略」につき香川裕子主幹へ私が指摘するまでの間、山口県情報公開センターへおかれなかった理由にかかり、後に、それがおかれる至る 山口県薬務課内での説明と合意内容に関する公文書について、山口県薬務課へ開示請求をする。」の件について、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹と私は、対談し、その内容については、以下
『 平成28年度 「山口県薬務行政の概要」について 平成29年8月7日、山口県情報公開センターにおかれるに至った 山口県薬務課内での説明と合意内容に関する公文書 』 の件
平成29年8月7日、山口県 健康福祉部 薬務課 香川裕子主幹と私との面談も踏まえて、山口県 情報公開センターへ その公文書開示請求書 内容を確定し、提出した。
同日、平成29年1月5日より、山口県 防府市 株式会社 丸久 橋本洋樹 総務部長が、東京都 永田町 国会議員事務所 奈良県 選出 奥野信亮代議士と私との連絡 対応の途上の中へ、介入をされ、私と奈良県 選出 奥野信亮代議士と私との連絡が、一向に、進まなくなった件に関して、私は、株式会社 丸久 代表取締役 田中康男 社長 宛て、平成29年8月7日付 FAX 連絡文を株式会社 丸久 本部へ送信し、今まで、その説明途上 関係もある、山口県 健康福祉部 薬務課 香川裕子主幹と私との面談内容に関しては、山口県 広報広聴課 佐藤理子主査の許へ、その対談の内容、説明しに行った。
平成29年2月10日、山口県 防府市 上田・藤井総合法律事務所 上田和義弁護士から、2月9日、私の許へ、連絡が入った内容に関し、私の現況における、その状況 説明については、防府市 上田・藤井総合法律事務所 職員へ入れた。
平成29年1月20日、山口県 防府市 上田・藤井総合法律事務所 上田和義弁護士との間において、司法における、その多方面に亘る事柄に関し、私は、その対談をした。
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全国市長会長に松浦・防府市長
全国市長会は7日、都内で開いた総会で、新会長に山口県防府市の松浦正人市長を選出した。任期は2年。松浦氏は記者会見し「基礎自治体の声を国や関係機関に発信していく先兵として働く」と述べた。重点テーマとして所有者不明の土地対策や地方大学の振興などを挙げた。
松浦氏は森民夫前会長(前新潟県長岡市長)の新潟県知事選出馬に伴い昨年9月から会長代理を務めていた。会長が欠けた場合の規定が未整備で会長空席が9カ月に及んだため、今回、評議員会で後任を選べるよう会則の一部を改めた。・・・ 平成29年6月7日(水)、日本経済新聞 18:39 配信より
私のコメント : 平成29年6月7日(水)、全国市長会は、都内で開いた総会で、新会長に山口県防府市の松浦正人市長を選出した。松浦氏は記者会見し「基礎自治体の声を国や関係機関に発信していく先兵として働く」と述べた。その重点テーマとしては、所有者不明 土地対策、地方大学 振興などを挙げた。
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平成28年4月1日(金)、山口県立山口高等学校 事務室 受付まで私は、行き、私の名刺を山口県立山口高等学校 事務職員へ渡して、今までに、山口県教育庁 人権教育課 推進班 河村宏之主査との私は、2回の面会と 私からの説明文における、その対応と説明も、経ているために、山口県立山口高等学校長との間において、私は、その関係する内容についても、電話での連絡対応を持った。防府市総務部総務課 秘書室 貞平慎太郎室長から、今まで、防府市総務部総務課 秘書室 貞平慎太郎室長 経由し 私からの防府市長宛への連絡文に関しての連絡が入らないために、私は、防府市総務部総務課 秘書室まで行き、新任の松村訓規秘書室長に面会し、防府市総務部総務課 秘書室 貞平慎太郎室長 経由し 私からの防府市長宛への連絡文に関し 新任の防府市総務部総務課 秘書室 室長には、その確認も急がせた。
平成28年11月11日(金)、山口県 防府市役所 総務部 総務課 秘書室 松村訓規 室長と私は、面談した。
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防府市議選6日告示
任期満了に伴う防府市の市議会議員選挙が6日告示されます
任期満了に伴う防府市議会議員選挙には25の定員に対して30人が立候補
任期満了に伴う防府市の市議会議員選挙が6日告示されます。
任期満了に伴う防府市議会議員選挙には25の定員に対して30人が立候補を予定しています。
新旧別では▽現職が21人、▽新人が8人、▽元議員が1人となっています。
党派別では▽自民党が4人、▽公明党が3人、▽共産党が2人、▽諸派が1人、▽無所属が20、▽無所属が20人となっています。
防府市の人口はおよそ11万7000人。
▽少子高齢化が進展する中で人口減少をどう食い止めるかや、▽企業誘致による地域経済の活性化、それに▽市役所の庁舎の移転計画を中心市街地の活性化にどうつなげていくかなどが課題となっています。
立候補は6日午前8時半から午後5時まで防府市役所で受け付けられ、投票は一部の地域を除いて今月13日に行われ、即日開票されます。 ・・・ 平成28年11月5日、NHKNEWSWEB 18時42分 配信より
私のコメント: 防府市の人口はおよそ11万7000人。少子高齢化が進展する中で人口減少をどう食い止めるかや、企業誘致による地域経済の活性化、防府市役所の庁舎の移転計画を中心市街地の活性化にどうつなげていくかなどが課題となっています。
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協和発酵バイオ社長・小谷近之さん
2015.6.20 07:03 更新
■東京の寮で感じた「福岡」
福岡に住んでいたのは小学校3年生まで。その後、父の仕事の関係で東京に移り住みます。ですが、大学では東京で“福岡県人”として濃密な時を過ごすなど常につながりを持ってきました。親族一同は父方・母方ともに、ほぼ全員が福岡出身でした。現存する国産最古の乗用車「アロー号」を開発した矢野特殊自動車(福岡県新宮町)の創業者、矢野倖一は母方の祖父の親戚(しんせき)です。東京に引っ越し、社会人になってからは海外勤務が多いこともあって親族との付き合いも希薄でしたが、両親が亡くなったのを契機に、頻繁に会うようになりました。幼少時は福岡市早良区の昭代に住んでいました。行動範囲は広く、西南学院大に面していた海岸(百道浜)などに、頻繁に遊びに行っていました。その時の記憶だけを頼りにして、現在でも街を歩き回ることができます。3年生の時には母の出身校である福岡女学院(福岡市南区)に近い土地に家を建てて移り住みますが、わずか1年で東京に引っ越します。小学校卒業後は私立の早稲田中・高に通います。大学は慶応ですが、このときに大きな転機を迎えます。父が島根県出雲市に転勤し、母と妹も共に行動したのです。東京に残るのは私だけで、一人暮らしを始めました。4年間にわたって暮らしたのは、福岡県の西部に当たる筑前地区出身の大学生だけが住むことが許された、財団法人「浩浩居(こうこうきょ)」という杉並区にある寮です。この寮は、総理大臣を務めた広田弘毅氏が設立した子弟寮。入居者は18人で学生自治によって運営されているのが特徴です。出身校は広田氏の母校である修猷館や福岡高、筑紫丘など名門ばかり。通う大学もおしなべて、東大や一橋、早稲田などの優秀校です。入寮は難しく面接の倍率は数倍に達するほどです。入寮を希望したのは父でした。「福岡とかかわり続けてほしい」と思っていたようで、かつて寮にお世話になった叔父の推薦状もあって、入寮が決まりました。もっとも、その年は定員5人に対し希望者は5人。東京の高校を卒業した入寮者なんて、異例中の異例です。寮の中は、まさに「THE福岡」という世界。博多弁が飛び交い、高尚な話から女性の話題に至るまで熱く語り合っていました。強烈な個性の持ち主ばかりですが、物事に対して、くよくよ考えないのが共通項。こうした仲間との触れ合いを通じ、「自分の体内に福岡の血が流れている」と実感しました。最終学年では寮長を務めます。役職が決まって4年生を送る会を催したのですが、1部屋がボヤで焼けてしまいました。当時の理事長だった参議院議員の遠藤政夫先生が真っ先にかけつけてくれて、近所の住民や警察署、消防署に出向いて一緒に頭を下げてくれました。これが寮長として最初の仕事です。その部屋の補修費は、当時の寮生が卒業後に払い続け、全額完済しました。現在でも頻繁に会っており、素晴らしい仲間に恵まれたと思っています。大学卒業後は映画製作会社への就職を希望していましたが、父も現役で働いていた協和発酵工業(現協和発酵キリン)に入社しました。マスコミ関係への就職支援をしてくれていたこともあり、複雑な思いもあったでしょうが、こうして仕事で頑張ることができるのは父のおかげだと感謝しています。協和発酵バイオは山口県宇部市と防府市に工場を所有しています。中国・上海とタイ・ラヨンにアミノ酸の大きな生産拠点があるので、福岡空港経由での技術者の交流も盛ん。個人ベースだけではなく当社が発展していく上でも、福岡は重要な土地です。(伊藤俊祐)
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次回はヒト・コミュニケーションズの安井豊明社長が登場する予定です。
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【プロフィル】小谷近之
こたに・ちかくに 早稲田高校、慶応義塾大文学部卒。昭和58年協和発酵工業(現協和発酵キリン)入社。協和発酵バイオ取締役を経て平成27年3月から現職。55歳。福岡県出身。
・・・ 2015.6.20 、産経新聞 07:03 更新 配信より
私のコメント : 協和発酵バイオ社長・小谷近之さん、大学卒業後は、父も現役で働いていた協和発酵工業(現協和発酵キリン)に入社。 協和発酵バイオは山口県宇部市と防府市に工場を所有しています。中国・上海とタイ・ラヨンにアミノ酸の大きな生産拠点がある、福岡空港経由での技術者の交流も盛ん。