甦る幕末の桑名…市博物館で企画展 |
2017年11月01日
攘夷派警戒 注意の手紙
桑名藩主・松平 定敬(さだあき) は 尊皇攘夷派(そんのうじょういは) の領内通過に注意を促し、桑名藩は横浜に停泊中の蒸気船を購入しようとアメリカ商人と交渉を重ねた――。幕末の桑名藩の姿を初公開資料などで紹介する企画展が、桑名市京町の市博物館で開かれている。当時の様子がリアルに 甦(よみがえ) るかのような展示に歴史ファンの注目が集まっている。(田坂誠)
■一橋・会津・桑名
企画展は「幕末維新と桑名藩 一会桑の軌跡」。一会桑とは大政奉還をした15代将軍徳川 慶喜(よしのぶ) の出身家一橋、桑名藩主松平定敬の実兄・松平 容保(かたもり) が藩主を務めた会津、そして桑名の頭文字。定敬が2人とともに作った京都の体制とされる。初公開資料の一つが、京都の治安を守る京都所司代を務めた桑名藩主・松平定敬が、「 天狗(てんぐ) 党」に注意するよう藩に宛てて出したとみられる手紙だ。天狗党は水戸藩(茨城県)の尊皇攘夷派・藩士らで、1864年に挙兵し、一橋(徳川)慶喜に尊皇攘夷を訴えるため京都へ向かう道中の美濃(岐阜県)にいた。これに定敬が注意を促した。「夫々手配等手抜無之様可致候 万一領分相過し候 而者面目も無之次第に付き」(皆、手配などは手抜かりのないようにすること。もし、桑名藩領内を通過されることがあっては面目もないことなので)厳冬期で、天狗党は美濃から南下し桑名を通過することが考えられた。実際は南下しなかったが、緊迫した情勢がありありと迫ってくる書簡だ。この手紙は誰のものか分からなかったが、最近の調査で、筆跡と内容から定敬の書簡だと判断したという。
蒸気船購入交渉の書簡
桑名藩が横浜港に停泊中だった鉄製蒸気船を購入しようと米商人と交渉した書簡も展示されている。現存する記録では桑名藩がこの蒸気船を入手した事実は確認できず、詳細は不明だが、書簡が書かれたのは大政奉還と同年の67年。68年の鳥羽伏見の戦いの後、慶喜は幕府軍の軍艦で江戸に逃げ帰っており、慶喜を護衛する立場の桑名藩が「輸送船を用意しようとした可能性が考えられる」という。
■和歌
松平容保と定敬が一緒に詠んだとみられる和歌も展示されている。
兼てより今や今やと待わひた かいこそ有りてけふのうれしさ 定敬
三年へて君と 酒汲(さけくむ) けふの日は ゆめうつつとも定め兼つつ 容保
同じ文様入りの色紙にしたためられ、ともに再会を喜ぶ内容であるため、明治になって再会した2人が酒席で書いた姿が想像されるという。
■精巧な蒔絵
松平容保の所持品と伝えられるたばこ盆なども一見の価値がある名品だ。たばこ盆の外側には本、扇子などのデザインが施され、引き出しのつまみは鼓の形。全体に精巧な 蒔絵(まきえ) が描かれている。「幕末の三舟」と呼ばれる勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の書も見応えがある。江戸時代を代表する画家の一人、谷 文晁(ぶんちょう) の「異国船図」には、幕府老中の松平定信が文章を書き込んでいる。勝海舟の手作りと伝わる 茶碗(ちゃわん) もファンの興味を引く。一橋慶喜の使ったすずりや冠なども展示されている。同博物館の杉本竜館長は「桑名や会津などが幕末、どんな関わりを持っていたか広く知ってほしい」と話している。同展は26日まで。月曜休館。入館は午前9時半~午後4時半。入館料500円。中学生以下は無料。問い合わせは同館(0594・21・3171)。 ・・・ 2017年11月01日 、読売新聞 配信より
私のコメント:明治維新と桑名藩、京都 表千家、裏千家、・・ 書道、華道、一会桑の軌跡