森英恵さんが見たモンシロチョウ 島根の原風景、作品のモチーフに
8/19(金) 10:15配信、朝日新聞 配信より
【島根】11日に96歳で亡くなった世界的なファッションデザイナー、森英恵さんは、山口県境にある六日市町(今の吉賀町)の出身だった。
デザインの象徴となった蝶(ちょう)のモチーフの原点には、子どもの頃に見た原風景があった。
【写真】ふるさと・石見での作品展開催を喜ぶ森英恵さん=2015年4月、島根県益田市有明町のグラントワ
森さんは開業医の5人きょうだいの4番目に生まれた。清流高津川が流れる、自然豊かな土地でレンゲ摘みや鬼ごっこをし、小川でフナを追いかけ、小学4年まで過ごした。朝日新聞の取材に対し、「感受性が強い子どものころに島根で過ごしたことで、デザイナーとしての色彩感覚が身についた。私にとって何よりの宝です」、県政広報誌の取材には「ルーツは心の中に刻んだふるさとの色どりである。私のオレンジ色は柿の熟れた色、私の緑は山の木々の色」と語っている。
父親は教育熱心で、絵や彫刻、庭の設計などをする趣味人だった。おしゃれにも気を使い、縁なしメガネにソフト帽姿で、自転車に乗って往診した。森さんの衣服は「東京の三越や大阪の高島屋からのメールオーダーで取り寄せていた。だから学校ではまだ着物を着ている人が多かったのに、私はいつもハイカラなものを着ていて恥ずかしかった」(岩波新書『ファッション 蝶は国境をこえる』)と回想している。
2005年にオープンした島根県芸術文化センター・グラントワ(益田市)にある県立石見美術館は、ファッションの展示・収集にも力を入れ、森さんの服飾作品も収蔵する。これまで何度も企画展を開催してきた。森さんは15年、グラントワの女性アテンダントの制服をデザインした。
15年には60年間の作品を回顧する作品展があり、森さんは「季節の移り変わりがはっきりしていて、今も私の中で季節感を残してくれている。ふるさとに磨き上げられた仕事をこの美術館で展示できるのは特別な気持ちです」と語った。
1996年には出雲大社参道でファッションショーを開催。03年には、デザインした能衣装による「胡蝶(こちょう)」の公演が出雲大社であった。
「ハナエ・モリ」の象徴となったのが、なぜ蝶だったのか。朝日新聞のインタビューには、60年代にニューヨークでオペラ「マダム・バタフライ」を見た時、下駄(げた)を履いて畳を歩く蝶々夫人に憤慨したとし、「私が蝶のイメージを変えてやる、って思った」と話している。一方、今年6月までグラントワセンター長を務めた、同じ郷里出身の澄川喜一さん(91)=東京都=との対談では、子どもの頃に見た大根畑に舞うモンシロチョウが原点だとも明かしている。
益田市出身の元文芸春秋編集者、高橋一清さん(78)は、森さんに原稿を依頼し、何度か面談した思い出がある。著書『近影遠影 あの日あの人』(青志社)で、県立石見美術館で展示された衣装を手にした学芸員が「裏の始末」の確かさを指摘したと紹介。「見えないところまでの丁寧な仕事に、私は山陰の女性の気質を感じる」としている。
訃報を聞き、「20代半ばから親しくさせていただいた。石見の女性のまじめさでしょうか、間に合わせではない、丁寧な仕事をする人だった」と惜しんだ。(小西孝司)
朝日新聞社 最終更新:8/19(金) 10:15 朝日新聞デジタル
私のコメント : 令和4年8月23日、東京都 土方学芸員と私との対応あり、東京都 職員から私の許に、連絡が入り、その連絡されてきた内容に沿い、東京都 職員と私は、対談した。