防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌より |
1957年2月28日創立発起人会
3月30日創立準備会
5月14日創立総会
6月5日国際ロータリー正式加盟承認
(チャールス・G・テンネントンRI会長)
初代会長 牧野直隆 初代幹事 梶山芳四郎
牧野直隆様について、防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌に詳しく、記述できませんことを 牧野様の慶応義塾大学の後輩として、慶応義塾大学の野球関係者、及び諸先輩方に あいすまなく思っています。
その経緯 慶応義塾大学の野球関係者 及び 慶応義塾 皆様にします。
防府市内、今の勤務先 高等学校に、赴任して、当時の校長に、学校のインターアクトクラブを私に、担当させて欲しい旨を強く希望しました。しかし、当時、校長の意向もあったのかどうかわかりませんが、赴任1年目は、インターアクトクラブは、勤務先 他の教員がそれを担当し続けました。その後、赴任2年目にようやく私は、勤務先 学校のインターアクトクラブの顧問に就任しましたが、赴任2年目も防府ロータリークラブの会合には、私がその出席することについて妨げられました。赴任3年目(今から、3年前)に、私は、様々な皆様方にその呼びかけまして、ようやく防府ロータリークラブの会合に出席することができるようになりました。よって、牧野直隆様の大学後輩として牧野直隆様の存命中に会い、牧野直隆様の慶応義塾大学 六大学野球時代逸話と防府ロータリークラブ初代会長を勤められながらも、高校野球発展 等に尽くされた業績についてを防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌に、その説明が出来ていませんことお許し下さい。今、防府市内には、三つのロータリークラブがありますが、インターネット上にてその月々の活動 等について、ホームページで閲覧できるのは、今のところ、防府ロータリークラブのみです。インターアクトクラブの関係者からも、インターアクト活動をしていく上で、情報を共有する上で、防府市内 他のロータリークラブ(防府南ロータリークラブ、防府北ロータリークラブ)ホームページ開設が待たれています。
本校、インターアクトクラブは、1963年9月設立です。公立高校(都道府県立の高校)においては、全国において、永続のインターアクト活動を続け、現存している県立高校インターアクトクラブ中で、最初の設立です。インターアクトクラブが、日本で一番に設立された仙台育英高校1963年6月に遅れること、3か月です。ちなみに、北京オリンピック日本女子バレー出場選手 栗原 恵様(パイオニア所属)は、三田尻女子高等学校(現 誠英高等学校)出身です。誠英高等学校のインターアクトクラブについて、スポンサークラブは、防府南ロータリークラブです。防府南ロータリークラブの設立について、三田尻女子高等学校 校長 小沢友太郎様(防府南ロータリークラブ会長)が、尽力され、設立をされています。 全日本女子バレー監督 柳本晶一様には、契同窓会 総会においては、私の隣の席に座っていただき全日本女子バレーについてスピーチを聞かせていただきました。柳本晶一監督が、新日本製鉄に勤務されていた時代についてのお話が、私の叔父が、新日本製鉄に勤務していた時代と重なっていまして、柳本晶一監督についてのお話の趣旨を良く理解することができました。日本女子バレー出場選手 栗原 恵様を これから地元で、応援展開するには、防府南ロータリークラブのホームページ開設が待たれています。
慶應義塾創立150年式典は、平成20年11月8日(土)に開催されました。慶應義塾創立150年記念事業に、皆様、ご協力をありがとうございました。映画「ラストゲーム最後の早慶戦」は平成20年8月23日から一般公開されています。
慶應義塾大学 塾長に就任されました 清家 篤 塾長につきまして、ふり返ると、私は、1982年11月23日に、清家 篤教授を最初に、萩、山口、防府に ご案内したことについて そのお礼状を私は、清家 篤 教授より頂いておりますので、清家 篤 慶應義塾塾長とは、26年間の学識交流と付き合いなります。その間、清家 篤 教授が、カリフォルニア大学に訪問研究員として渡米中、私が、清家 篤 教授の御実家のご母堂様とお話しました、そのご丁寧な対応の内容 等、当時の事柄についても、清家 篤様が、慶應義塾 塾長に就任されて、よみがえってまいります。謹んで、清家 篤 教授の慶應義塾 塾長 就任をお祝い申し上げますとともに、地元より、清家篤 慶應義塾 塾長のご活躍を深くお祈り申し上げております。
清家 篤様の父上様、清家 清様(東京目黒RC)は、世界の中で、「100人の高名なロータリアン」の一人として国際ロータリー物語「奉仕の一世紀」に記載されています。