外交文書 沖縄返還、安保を憂慮 朴正煕大統領 米の核配備増強要求 |
当時日本と国交があった台湾も、沖縄返還が東アジアの安全保障に与える影響への懸念を米側に表明していたことが判明。近隣国が沖縄の地政学的な重要性を当時から認識していたことがうかがえる。44年11月24日に朴大統領に面会した金山政英駐韓大使の特秘公電によると、朴大統領は3日前に「核抜き・本土並み」の沖縄返還で合意した佐藤栄作首相とニクソン米大統領による共同声明に言及。「韓国としては沖縄基地が核を含め現状のままの態勢にあることが絶対に必要だ」と述べ、朝鮮半島情勢を踏まえ核抑止力の低下に懸念を示した。同様の懸念は米側の公文書などで明らかになっていたが、日本側の資料でも裏付けられた。朴大統領は中国に対しても「中共(中国共産党)の核兵器が次第に危険な段階になってきている」との憂慮を表明した。朴大統領は「共産主義者の侵略に対する抑止力として現在沖縄にあるといわれるメース(戦術核)では不十分で、さらに進歩した核兵器の配置されることが戦争防止のため必要だ」と核増強も要望していた。44年10月28日付の極秘公電では、台湾側高官が米政府に対し「沖縄返還で米国は対外的に負っているオブリゲーション(義務)をどのように守るのか」と強く迫ったことを伝えた。同年12月10日付の極秘公電によると、米国防次官補らが日本側に「日本国民が抑止力としての核に現実的な評価を怠れば、中共の核の脅迫に屈せざるを得なくなる恐れも出てくる」と核抜き返還の影響を軽視する日本側に警鐘を鳴らしていた。
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■周恩来首相、米中接近を示唆 藤山元外相会談 国交正常化迫る
ニクソン米大統領が中国訪問を突然宣言した昭和46年7月の「ニクソンショック」の4カ月前、中国の周恩来首相が藤山愛一郎元外相に対し「米国は変わり身が早い」と事前に米中接近を示唆する発言をしていたことも分かった。46年3月11日付の極秘文書によると、周氏は藤山氏に「台湾に深入りしているのは米国よりも日本だ。今後、中共(中国共産党)との関係では米国が先行して日本が取り残されるのではないか」と指摘。46年3月17日付の極秘文書によると、周氏が日本側に「政府間接触の第一歩は現職の外相か首相が北京に来ることだ」と秋波を送った。米国は当時、水面下で中国との接触を模索していたことが後に判明。周氏は日本にも早期の国交回復を促す意図があったとみられる。だが、日本は察知できず、47年2月のニクソン大統領訪中を受け、同年9月の田中角栄首相の訪中で国交正常化が実現した。
■尖閣問題「棚上げ」 中国主張
日本固有の領土である沖縄・尖閣諸島の領有権をめぐっては、中国が昭和47年9月の日中国交正常化直後から問題の「棚上げ」を持ちかけていた実態が、改めて浮き彫りになった。外務省の当時の極秘文書によると、国交正常化後の48年4月、中国の董必武国家副主席は小川平四郎駐中国大使に対し、「(尖閣諸島の)魚釣島問題については今後、道理をもって話し合えばよい」と主張した。尖閣諸島は、周辺で石油埋蔵が指摘された40年代中ごろから中国や台湾が領有権を主張し始めた。国交正常化で合意した47年9月27日の田中角栄首相と周恩来首相の会談では、田中氏が「尖閣問題についてどう思うか」と尋ねたのに対し、周氏が「今回は話したくない。今これを話すのはよくない」と先送りを求めたことが明らかになっている。一方、外務省が46年7月にまとめた極秘資料には、尖閣問題に関し「中共(中国共産党)をして日華(日本と台湾)の友好関係にくさびを打ち込む絶好の口実を与えることになる。双方は重大問題としないよう極力配慮する必要がある」との記述があり、日本政府も問題の棚上げを望んでいた様子がうかがえる。 ・・・平成23年12月23日(金)、産経新聞 7時55分配信より
私のコメント: 日本の経済を取り巻く現在の環境におき、外務省が、日中国交正常化や沖縄の密約問題 等に関係し、「平成23年12月22日、外務省が公開した日中国交正常化や沖縄返還交渉などに関する外交文書」開示について どの程度、佐藤政権下の外交努力成果につき、外務省の当局が、その責任を負い、説明していくこと、今後、それが出来ていくかの問題に至ってきたと、この記事を拝観し、観測する。
藤山愛一郎元外相が、経済企画庁長官の時代、各利害関係者に働きかけて、藤山愛一郎先生が、接した経済学者の学術記録を検証し、日本を取り巻く国際経済を総括していくことが最も大切である。この問題に関係し、朝鮮半島問題、台湾問題、各問題について、学者として、その説明責任の回避をし続けて、学者の利益を得続けている日本の学者との真剣な対話、各対応についても、外務省にとっては、急務であると感じた。