<大間のマグロ>目指せ1億円超の「泳ぐダイヤ」 漁船ルポ |
本州最北端の青森県大間町。13日午前3時半、目と鼻以外を防寒具ですっぽり包んだ竹内さんら3人の漁師とともに港を出発した。気温1度、西の風4メートル。体感温度は氷点下だ。雪交じりの風が吹きすさぶ漁場に着いたのは午前4時。「(縄を入れて)いいよ」。マグロの活性が高まる夜明け直前の午前5時、竹内さんの合図で勝負が始まった。
約5キロに及ぶ1本の幹縄(みきなわ)に約50メートルごとに連なる数十本の枝縄(えだなわ)。ゴム手袋をした漁師2人がいけすから生きたイカを取り出し、枝縄の先に付けられた約5センチの針に黙々とひっかけ、海に放り込んでいく。幹縄を流し終えたのは約50分後。マグロが掛かるのをじっと待つ。周囲には約20隻の漁船が見えた。
午前6時半、機械を使って縄の巻き上げを開始。ほどなくマグロが浮かんできた。「早くしろっ」。竹内さんの指示が飛ぶ。暴れて体温が上昇し肉が変色する「身焼け」を防ぐためだ。電気ショッカーをマグロの顔に当て、全身をまひさせる。エラに出刃包丁を入れて血抜きし、腹を裂いて内臓を取り出す。口からホースを入れて血を洗い出し、いけすの氷水に漬ける。その間、約20分だった。
この日の釣果はこの1匹だけ。体長約1メートル、重さは約50キロだった。大間漁師が狙うのは100キロ超の大物。竹内さんは「釣れないよりいいけどね」と苦笑いだ。帰港時間がバラバラのため、他の漁船が何匹釣ったのかは分からなかった。
実は、竹内さんの父薫さん(63)も2001年の初競りで当時の記録を塗り替えた大間を代表する漁師だった。「運では勤まらない仕事。マグロの習性を肌で感じ、マグロの気持ちにならないと生き残れない」と語る。
薫さんの01年のマグロは202キロで2020万円だった。最近の初競りはチェーンのすし店などの参入で高騰気味。そのため買い手側には初競りを敬遠する動きもあるというが、大物を出荷したい漁師の気持ちに変わりはない。来年の初競りは1月5日。年末年始にかけ、いてつく北の海峡では漁師たちのプライドを懸けた熱い戦いが本格化する。【吉田勝】
回遊魚のマグロは、餌を追って北上しながら大型化する。大間近辺の津軽海峡には毎年7月から翌年1月までの間に近づくという。冬になるほど脂が乗った大物が多く、単価も高くなる。
大間漁協によると、12月5日現在の漁獲量は約166トンで前年同期とほぼ同じ。1キロ8000~1万5000円で取引されている。
津軽海峡でのマグロ漁は、1955年ごろから一本釣りを中心に盛んになったとされる。漁協の65年からの統計によると、漁獲量は81年まではおおむね数十トンで推移したが、その後激減し、90年には「0」になった。多くの漁師が88年に開通した青函トンネルの海底での工事が原因と考えたが、調査をした県は否定。漁獲量はその後、回復し、2007年には309トンを記録した。
・・・平成25年12月28日(土)、毎日新聞 11時21分配信より
私のコメント : 日韓間 島根県竹島問題、早期、平和的な解決を祈る。