皇室:両陛下、来年パラオへ 戦後70年、戦没者慰霊で |
パラオは太平洋戦争で約1万6000人の日本人が犠牲になった激戦地。政府は05年にもパラオ訪問を検討したが、受け入れ態勢が整わずに断念した。
宮内庁などによると、両陛下は戦没者を慰霊する気持ちを抱き続け、戦後70年を前にパラオなど太平洋諸島への訪問を強く希望している。今年8月にパラオであった太平洋諸島フォーラム(PIF)域外国対話の際には、パラオのトミー・レメンゲサウ大統領が木原誠二・外務政務官(当時)に「両陛下を招待したい」と要望を伝えており、訪問が実現すれば、慰霊だけでなく国際親善の意味合いも含まれることになる。【真鍋光之、古関俊樹】
・・・ 毎日新聞 2014年09月17日 北海道朝刊より
私のコメント : 昭和天皇陛下が、靖国神社へ参拝されなくなった時期は、東京 勉学しにいき、慶應義塾大学に入学し、私が、明治神宮、乃木神社、靖国神社、東郷神社 等へ各参拝を始めた時期と重なる。
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昭和天皇実録:靖国神社不参拝の経緯…「富田メモ」を追認
宮内庁は9日、昭和天皇の87年の生涯を記録した「昭和天皇実録」を公開した。この中で、天皇が靖国神社に参拝しないのは、A級戦犯の合祀(ごうし)が理由だと天皇自身が話したとする富田朝彦(ともひこ)宮内庁長官(当時、故人)のメモ(富田メモ)と符合する記述があったことが分かった。メモの中身には触れていないが、その存在と内容を報じた日本経済新聞の報道があったことをあえて記述した上、メモを出典として明示していることなどから実質的にメモの中身を追認したと受け止められる。
実録は、昭和天皇の日々の動静の公式記録で、同庁が1990年から24年余りかけて編さんした。作業には、非公開の内部文書や戦前に侍従長を務めた百武(ひゃくたけ)三郎の日記など約40件の新史料を含む3152件の史料が使われたが、歴史の通説を覆す記述はないとみられる。
体裁は和とじ本で計61冊、約1万2000ページ。黒塗りはなく全文公表され、8月21日に天皇、皇后両陛下に奉呈(提出)されていた。
焦点となったのは88(昭和63)年4月28日の記述。同日午前、皇居・吹上御所で富田長官と面会したことが記され、「靖国神社におけるいわゆるA級戦犯の合祀、御参拝について述べられる」とある。内容の詳細は書かれていないが、続けて「なお、平成18年には、富田長官のメモとされる資料について『日本経済新聞』が報道する」と記載されていた。
この報道は、2006年7月20日付同紙朝刊が「富田長官が残したメモから、昭和天皇がA級戦犯を合祀した靖国神社に強い不快感を示し、『だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ』と長官に語っていたことが判明」と報じたもの。実際、天皇は1978年のA級戦犯合祀以降は参拝をしていない。
新聞報道を記載したことに対して、同庁は実録の説明の中で「社会的な反響、影響が大きかったことから報道があったという事実を掲載した」と述べ、「メモの解釈はさまざまで、A級戦犯合祀と昭和天皇の靖国神社不参拝をとらえた富田メモや報道内容を是認したわけではない」としている。
しかし一方で、質疑の中では「(天皇と富田長官との面会と報道は)全く無関係というわけではない」ともしている。
また、実録は天皇の動静を記述する依拠史料として、富田メモを約180回にわたり引用。87年は65回、88年も51回と多用しており、史料としての価値を認めている。
・・・ 毎日新聞 2014年09月09日 05時03分(最終更新 09月09日 08時09分)配信より
私のコメント: 平成26年9月22日、立正大学 総務部 秘書課における私の担当へ、私から連絡文を送付している返書が立正大学 総務部 秘書課からないため、私から、その事務連絡を入れた。

































