【2020年五輪へ、新・東京物語】「新東京八名勝」1位は池上本門寺 |
報知新聞社では83年前の1932年(昭和7年)にも「新東京」と題した企画を行っていた。東京市は同年10月1日、周辺5郡82町村に新たに20区を設置し、15区から35区に拡大した。報知では同年9月に創刊2万号突破を記念して、新20区の中から「新東京八名勝」を読者投票によって選定。併せて選考から漏れた16か所も「新東京十六景」とした。当時の新聞をひもとき2回にわたって紹介する。今回は「八名勝」1位に選出された大森区(現・大田区)の池上本門寺。(甲斐 毅彦)
1932年9月23日付の報知新聞では合計890万票を集めた投票の末、選ばれた景勝地ベスト8を発表。併せて選考からもれた16か所も「新東京十六景」にしている。
西新井大師(足立区)と人気を二分し、1万1000票差でトップ当選となったのは、日蓮宗の宗祖・日蓮が鎌倉時代の1282年(弘安5年)に入滅した史蹟、池上本門寺だ。昭和初期に、なぜこれだけの人気を集めたのだろうか。本門寺で文化財を担当する安藤昌就主事(48)に聞いてみた。
「江戸時代にも寺子屋の教科書に『池上詣』が出てくるくらい有名な江戸郊外の行楽地でした。江戸から鎌倉ほど遠くはなく、大伽藍(だいがらん)がある寺ですから明治以降、外国人も訪れる名勝となりました」。28年には本門寺参詣輸送のために池上電気鉄道(現東急池上線)が蒲田駅―池上駅間で開業した。
31年には「日蓮聖人六五〇遠忌」を大々的に開催。日蓮宗信徒の間で起きていた、日蓮に「立正大師」の諡号(しごう)を贈ろうという運動が実り、宮中から「立正」の勅額が下賜されている。現代では考えられないことだが、皇室から弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)と並ぶ「お墨付き」が与えられたことになる。安藤さんは「選定の前年のことなので、投票する国民の記憶に新しかったのではないか」と推測した。
八名勝が選定された32年にはロサンゼルス五輪が開催されている。日本選手団は131人が参加し、陸上男子三段跳びの南部忠平氏(97年没)らの活躍で金メダルを7個獲得。大合併で人口が約500万人に達した東京も、米ニューヨークに次ぐ第2位の規模の都市となり、40年にアジア初の五輪を招致しようという機運が高まっていた。招致は36年に決定したが、日中戦争の影響で38年に中止が決まり、41年に太平洋戦争に突入した。
池上本門寺は45年4月15日、京浜地区を狙った米軍の空襲で火の海と化し、五重塔、総門などを残してほぼ焼失してしまった。戦後は徐々に再建を進められ、寺宝の保存・展示公開する霊宝殿が完成してほぼ復元が終わったのは2006年だ。
日蓮の命日に毎年催される今年の「お会式」は10月11日から3日間。池上駅周辺から本門寺までの約2キロを練り歩く万灯練り供養は12日に予定されている。毎年約30万人が集う。
報知新聞社は83年前、八名勝に当時の東京市長による文字を刻んだ記念碑を建立。池上本門寺の総門をくぐり、96段の石段を上り切ると、今も当時のままの状態で残っている。
◆東京市の大合併 1878年(明治11年)に市制が施行された当初は麹町区、神田区、日本橋区など15区でスタート。32年に荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡の5郡82町村が編入されて品川区、渋谷区、豊島区など20区が新たに誕生し、35区になった。43年に東京府と東京市が合併し東京都が誕生。47年に35区は23区に再編成された。 ・・・ 2015年10月6日15時0分 スポーツ報知 配信より
私のコメント: 日蓮の命日に毎年催される「お会式」は10月11日から、全国 各地でも、3日間 開催さている。