龍峰山 光明寺 浄土宗 |
山門に掲げられた由緒板の内容を記す。
浄土宗 光明寺 沿革
旧三本松城主 吉見正頼公室少将 大宮姫は 大内義隆公の女才色兼備克く 名将正頼公を補けて中興の業を成し信盛寺をこの地に建立す。
後 亀井政矩公 因州より 移封せられ 藩祖茲矩公の岳父 山中幸盛公の菩提の為鹿野城下に建立せる幸盛寺を此の城下に建て祖父の志を継ぐ。 後又故ありて寛永12年1635 信盛寺と合併す。 承応2年1653 亀井氏3代 茲政公 母君光明院殿信譽香順大姉菩提の為に 光明寺を撫坂口に建立せらる。 然るに 慶応2年1866に至り 信盛寺に合併して 光明寺 と稱しここに法燈を継続するに至れり。
奉安のお位牌
吉見正頼公夫人 山中幸盛公 仝夫人 亀井茲矩公夫人 亀井政矩公夫人(徳川家康孫女) 亀井茲政公夫人 亀井公歴公夫人 小野寺遠江守夫人 三浦紫畹