<大震災5年>未来の命守るため…被災者願い「忘れないで」 |
東日本大震災の発生から5年を迎えた11日午後2時46分、各地で犠牲者を悼み黙とうをささげる人々の姿があった。被災体験の風化が懸念される中、大切な人を亡くした遺族たちは多くの命が奪われた場所や追悼式の壇上に立ち、「震災を忘れないで」と訴えた。
児童・教職員84人の命が奪われた宮城県石巻市の大川小学校。地震発生時刻に被災校舎で営まれた法要に、当時5年生で奇跡的に助かった只野哲也さん(16)の姿があった。津波で多くの友人を失い、母、妹、祖父も亡くなった。自宅は流され、父英昭さん(44)と祖母の3人で石巻市内陸部に暮らす。現在、高1で勉強と柔道部の練習に明け暮れる。
地震発生後、約50分間校庭に待機し、津波に押され意識を失った。山の斜面に上がった同級生に引っぱられ、命をつないだ。あの日は母しろえさんの41回目の誕生日。「優しかった声が、なかなか思い出せない。一生忘れないと思ったのに、新しい記憶が入るとどんどん下に沈んでいく」
午後2時46分には、校舎2階の教室で亡き友を思い、津波到達時刻にも黙とうをささげた。震災遺構として被災校舎の保存を求める活動をしている。思い悩んだ時は校舎に足を運び、「やるしかねえ」と自らを奮い立たせる。「未来の命を守るため、これからも大川小のことを伝えていく」と話した。
約80人が犠牲になった宮城県七ケ浜町の追悼式。津波で祖母たけよさん(当時82歳)を失った鈴木杏奈さん(23)が遺族代表として登壇し、約500人を前に被災体験を語った。
5年前。鈴木さんは祖母と自宅裏の約10メートルの高台に避難したが、津波にのまれた。恐怖で祖母とつないでいた手を離してしまった。「たけばあちゃん、ごめんね。寒かったよね」。自身は木に引っ掛かり、助かった。5年間、公の場で語ることはなかった。「心のもやもやは一生消えることはありません」。時折、涙ぐみながら話した。
被災地で復旧・復興工事が進むと震災の爪痕も消えていく。記憶も自然と薄れていくことに危機感を持った。遺族代表を引き受けた理由は「一人でも多くの方に震災を忘れないでほしいから」。
岩手県宮古市田老地区の巨大防潮堤の上には、地震発生時刻に地元住民ら約300人が立ち、手をつないで黙とうをした。その一人、堀子朝子さん(76)は東日本大震災の津波で、夫の活朗さん(当時75歳)を亡くした。あの日、激しい揺れに襲われた後、活朗さんは海の様子を見るため堤に上って流された。
明治、昭和の大津波で市街地が壊滅的な被害を受けた田老地区。高台移転を避けるために建設された防潮堤は、東日本大震災当時も国内最大級の高さで「万里の長城」とも呼ばれた。しかし、津波は堤を越え、住民ら約180人が犠牲になった。
地元のNPOの呼び掛けで2012年から、この時刻に手をつなぎ合い犠牲者を悼む。集まった人々は自然の脅威を忘れないことを誓う。「夫が波にのまれた防潮堤の上に立つのは正直つらい」と堀子さん。友人と一緒に上り「防潮堤があっても高台に逃げるよう孫たちに伝えていきたい」と話した。【百武信幸、渡辺豊、安藤いく子】 ・・・ 平成28年3月11日(金)、毎日新聞 21時34分配信より
私のコメント: 児童・教職員84人の命が奪われた宮城県石巻市の大川小学校。地震発生時刻に被災校舎で営まれた法要に、当時5年生で奇跡的に助かった只野哲也さん(16)の姿があった。地震発生後、約50分間 校庭 ・・・・ 山の斜面に上がった同級生に引っぱられ、命をつないだ。午後2時46分には、校舎2階の教室で亡き友を思い、津波到達時刻にも 黙とうをささげた・・・・

































