山口県長門市で日露首脳会談 桜咲くか、安倍父子の執念 |
来月15日、山口県長門市で日露首脳会談が開かれる。市内には安倍晋三首相の父、晋太郎元外相の墓があり、プーチン大統領が立ち寄る可能性も取り沙汰されている。晋太郎氏は、両国の平和条約締結に力を注ぎ、志半ばで倒れた。父子2代にわたる思い入れを知る関係者は、首脳会談に深い感慨を抱く。(大森貴弘)
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9月中旬、山口県下関市。安倍首相の支援者による会合に昭恵夫人が招かれた。食事をしながら、話題は日露首脳会談に移った。
「なぜ、長門でやることになったんですか」。こう問う出席者に、夫人は答えた。
「主人は、父が日ソ外交に命をかける姿を、秘書として間近で見ていました。直接聞いたわけではありません。ですが、主人は『父が眠る長門で(首脳会談を)やりたい』と、強く思っていたはずです」
普段、笑顔を絶やさない。その夫人の表情が、いつになく真剣だったという。会場は水を打ったように静まりかえった。
晋太郎氏の代から知る支援者の中には、ハンカチで目頭を押さえる人もいた。
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「外交の安倍」-。晋太郎氏はこう評された。
昭和57年11月、中曽根康弘内閣が発足し、外相に就任した。
竹下登、宮沢喜一両氏と並び政界のニューリーダーと呼ばれ、将来の首相候補と目された。
晋太郎氏の外相在任は3年8カ月に及んだ。
半世紀にわたって後援会を支える幹部(80)は、冗談ともつかないぼやきを覚えている。
「外相っていうのは、選挙で得になるポジションじゃないからね…」
働きぶりは言葉と裏腹だった。幹部は「晋太郎先生は信念を持って、外交に臨んでいた。自分の体も顧みずに、何十カ国も飛び回ったんです」
中でも、力を入れたのが対ソ連外交だった。冷戦下だった。北方領土問題やソ連の太平洋への軍事的進出などに加え、58年9月には大韓航空機撃墜事件が発生した。日ソ関係は冷え切っていた。
選挙で得することは何もないばかりか、下手に首を突っ込めば、政治生命を脅かしかねない-。
周囲から懸念の声も上がった。それでも晋太郎氏は、ソ連を訪問し要人との接触を重ねた。
「筋を曲げての関係改善は、将来に禍根を残す」。晋太郎氏は日本の立場も主張し続けた。
「先生は地元で、こんな話をしてくれました。『ソ連では真冬でも、官僚との打ち合わせは外套を着て部屋の外でやるんだ』と。盗聴を懸念してのことでしょう。それだけ日本の国益を、真剣に考えていた」(後援会幹部)。
一連の交渉には、外相秘書官として安倍晋三首相も同行した。
晋太郎氏の努力は少しずつ花開いた。61年1月、ソ連外相が来日した。10年ぶりのことだった。このとき作成された日ソ共同コミュニケには「日ソ平和条約の内容となり得べき諸問題を含め、同条約締結に関する交渉を行った」と明記された。
ソ連側を、領土問題を含む平和条約交渉の土俵に引き戻したといえる。
晋太郎氏は61年7月に外相を辞任した。その後の自民党総裁レースで、竹下登氏の後(こう)塵(じん)を拝し、党幹事長に就任した。
その頃から、体調が悪化し入退院を繰り返した。がんだった。それでも対ソ外交に関わり続けた。
平成2年1月、自民党代表団の団長としてモスクワを訪れ、ゴルバチョフ大統領に「領土の主張は日本の権利」と認めさせた。晋太郎氏は「来年の桜の咲くころに、(日本に)おいでください」と呼びかけた。
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どんな思いで対ソ交渉を進めたのか。対談集「新世紀への架け橋」(ライフ社)に、こんな発言が残っている。
「ソ連があれだけ市場経済を導入して、そして自由経済の方向へ進もうということだし、民主化を進めていくんですから、日本の経済界も大型調査団をどんどん出して、投資だとか、いろんな面で民間も経済協力したらいいんです」
ゴルバチョフ氏との会談から8カ月後の平成2年9月。モスクワ近郊の空港に、文化交流などを目的とする訪ソ団が、政府専用機で降り立った。小渕恵三元首相を団長とし、国会議員や北島三郎氏ら芸能人、そして地元・下関市の若手経営者ら100人近くも同行した。
昼間は赤の広場やクレムリンなどを見学し、夜はソ連側が開いた歓迎会に出席した。
「皆、晋太郎先生の招きで集まったんです。民間交流を積み重ねることで、平和条約にこぎ着けようとした。自分の目の黒いうちに、北方領土返還に筋道を付けたいという思いがあったのでしょう」
訪ソ団に加わった後援会幹部(65)は、こう語った。
翌3年4月、ゴルバチョフ氏が来日した。
入院中だった晋太郎氏は、衆議院議長公邸で開かれた昼食会に駆けつけた。やせた体を悟られないよう、スーツの下に綿入れのベストを着込んだ。
ゴルバチョフ氏は「私は約束を果たしました。そろそろ桜が咲きますよ」と声をかけたという。
病院からゴルバチョフ氏と面談し、病院に戻るまで、安倍首相は晋太郎氏にずっと付き添った。
1カ月後、晋太郎氏はこの世を去った。それから四半世紀。安倍首相の日露首脳会談にかける思いの強さは、いかばかりか。
ロシアは北方領土の国後島と択捉島へ新たにミサイルを配備した。プーチン大統領は今月20日の記者会見で平和条約締結は「容易ではない」と語った。
日露首脳会談の行方は予断を許さない。それでも、親子2代を知る地元関係者は、固唾を呑(の)んで会談を見守る。・・・ 平成28年、2016年.11月25日(金)、産経新聞 07:05更新配信より
私のコメント: 生前の安倍晋太郎代議士は、山口県立山口高等学校同窓会長も勤められ、当時の山口県立山口高等学校同窓会の同窓生、同窓会からの意見も、良く聴かれて、その意見を参考にされながら、日本の領土問題 等へも、外務大臣として、また、自民党幹事長としても、その対応をされていた。
「編集者魂」 高橋一清著 集英社文庫
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秋サケ大不漁、30年で最低…おせち困った
秋サケが深刻な不漁に陥っている。
漁期は既に終盤に入っており、ここ30年で最低水準の水揚げ量となりそうだ。不漁に伴って卸売価格も上がり、お歳暮やおせち料理の食材にも影響が出ている。
観光客らでにぎわう東京・築地の場外市場。「鮭(さけ)の店」の看板を掲げる昭和食品では11月中旬、年末年始の贈答品として人気の新巻きザケが1匹1万円前後で売られていた。築地市場のサケの卸値は前年同期と比べて1・5倍で、日によっては2倍近くにもなる。佐藤友美子社長(56)は「お歳暮の時期はかきいれ時。卸値は高いが、値上げはなるべく避けて、薄利多売でいきたい」と話す。
水産研究・教育機構北海道区水産研究所のまとめによると、10月末までの全国のサケの水揚げは2321万匹で、前年同期と比べて3割少ない。主力水揚げ地の北海道のほか、本州の三陸沖や日本海側でも不漁傾向だ。サケの南下に伴って漁は年末まで続くが、大幅な回復は難しい状況で、今年度の最終的な漁獲量は、ピークだった1996年度(8879万匹)の3分の1程度にとどまりそうだ。・・・ 平成28年11月26(土)、読売新聞 20:17配信より
私のコメント: 秋サケが深刻な不漁に陥っている。漁期は既に終盤に入っており、ここ30年で最低水準の水揚げ量となりそうだ。 水産研究・教育機構北海道区水産研究所のまとめによると、10月末までの全国のサケの水揚げは2321万匹で、前年同期と比べて3割少ない。主力水揚げ地の北海道のほか、本州の三陸沖や日本海側でも不漁傾向だ。 プラザ合意。消費税導入。消費税の増税。郵政制度改革。マイナス金利政策。年金制度改革。農業・水産業制度改革。医療福祉制度改革。教育制度改革。領土問題。島根県 竹島、北方領土 、日露首脳会談。 「オホーツク街道」 司馬遼太郎 ・・・
「 明かなる事、日月にすぎんや 浄き事、蓮華にまさるべきや 」
法華経に、法華経の予言 本化 上行菩薩の御徳について 「 世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し。 」とあり、塔中別付嘱を蒙った上行菩薩は末法の世に現れて、「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅す。」と説かれます。この法華経の予言通り、本化上行菩薩の再誕として日蓮聖人は、鎌倉時代 、ご降誕になり、「神力品」の「如日月光明」の「日」と、「涌出品」の「如蓮華在水」の「蓮」の二字を採って「日蓮」と名乗られた。
「 闇なれども 燈入りぬれば 明かなり。濁水にも、月入りぬれば すめり。 明かなる事、日月にすぎんや、浄き事、蓮華にまさるべきや。 法華経は、日月と蓮華となり。 」 と申されている。・・・・ 『 四条金吾女房御書 』[(定)四八四(縮)六七一(類)八四五]より、