約束と申すことは たがへぬ事にて 候ふ |
・・・ 日蓮聖人御遺文 「上野殿御返事」より
上野殿御返事(阿那律果報由来)
法難への覚悟を教える
本文( 日蓮聖人御遺文 )
此の身のぶ(延)のさわ(沢)は石なんどはおほ(多)く候・されども・かかるものなし、その上夏のころ(比)なれば民のいとま(暇)も候はじ、又御造営と申しさこそ候らんに・山里の事を・をもひやらせ給いて・をく(送)りたびて候、所詮はわ(我)がをや(親)のわか(別)れを(惜)しさに父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや孝養の御心(みこころ)か、さる事なくば梵王・帝釈・日月・四天その人の家をすみか(栖)とせんとちか(誓)はせ給いて候は・いふにかひ(功)なきものなれども約束と申す事はたが(違)へぬ事にて候に、さりとも・この人人はいかでか仏前の御約束をば・たがへさせ給い候べき、もし此の事まことになり候はば・わ(我)が大事とおも(思)はん人人のせいし(制止)候、又おほ(大)きなる難来るべし、その時すでに此の事かな(叶)うべきにやとおぼ(思)しめして・いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほ(守)り給うべし、其の時一切は心にまか(任)せんずるなり、かへす・がへす人のせい(制止)しあらば心にうれ(嬉)しくおぼすべし、恐恐謹言。
五月三日 日 蓮 花 押
上野殿御返事