<能登半島地震>岩手で地元で 絆の足湯 25日で10年 |
石川県・能登半島などで1人が死亡、356人が重軽傷を負った2007年3月の能登半島地震から25日で10年となる。発生当時、高校入学を控えていた男性は、ボランティアの大学生に触発され、各地で被災地支援に携わるようになった。県内の機械メーカーに勤める今も、ボランティア活動を通じ古里を見守り続けている。
「変わらんとおるけ?」「元気そうで何よりやわ」
地震で大きな被害を受けた同県輪島市門前町道下(とうげ)地区の集会所に今月中旬、輪島市出身の宮本大輝(だいき)さん(25)=同県白山市=の姿があった。パイプ椅子に座り、たらいの湯に足を浸したお年寄りたち。手のひらをマッサージしながら話しかけると、笑顔が広がった。金沢大生やOBらが1~2カ月に1度実施する足湯ボランティアだ。地震で宮本さん宅は「大規模半壊」となった。家族は無事だったが、地元の輪島実業高(当時)進学後の2年間は仮設住宅で暮らした。家計が厳しく弟が2人いることもあって就職しか考えていなかったが、ボランティアで仮設を訪れていた金沢大の学生たちとの出会いが転機になった。「金大に来なよ」「奨学金や授業料の減免制度があるよ」。学生たちは進路相談にも乗ってくれた。「恩返しではないが、自分も大学に進み、ボランティアとして関わりたいと思った」と振り返る。猛勉強して金沢大経済学類に合格し、門をたたいたのはボランティアサークル「能登見守り・寄り添い隊『灯(あかり)』」だ。足湯ボランティアが活動の柱だ。入学から1年近くたって東日本大震災が起き、被災した岩手県陸前高田市に11年夏から2~3カ月に1回の頻度で出向いた。1週間近く入浴できていない人や、長い避難生活で足や顔がむくんだ人がいた。当初は重苦しい雰囲気が漂ったが、訪ね続けるうち身の上話を打ち明けてくれるようになった。道下地区での足湯には、お年寄りなど10人近くが毎回顔を出す。「自分の名前も覚えてくれ、活動した分だけ関係が深まった」。集いの場として定着したと手応えを感じている。「お年寄りは特に外出の機会が乏しくなりがちなので、よりどころが要る」。これからも通い続けるつもりだ。【道岡美波、写真も】
◇ことば「能登半島地震」
2007年3月25日午前9時41分ごろ、石川県輪島市西方の日本海を震源に発生。マグニチュード(M)は6.9で、輪島市などで震度6強を観測した。2426戸が全半壊し、ピーク時には736人が仮設住宅で暮らした。・・・ 2017/3/25(土) 毎日新聞 9:30配信 より
私のコメント : 能登半島地震 2007年3月25日午前9時41分ごろ、石川県輪島市西方の日本海を震源に発生。マグニチュード(M)は6.9で、輪島市などで震度6強を観測した。