眞子さまら 週刊誌報道後、外出デートなし |
2018/02/08 10:31
結婚の延期が決まった秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんが、去年12月、神奈川県のレストランでお忍びのデートをしていたものの、週刊誌報道があって以降、外では会われていないことがわかった。関係者によると、秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんは去年12月初旬、神奈川県葉山町にある海の見えるレストランを訪れ、お2人で過ごされた。その後、週刊誌に小室さんの母親の金銭トラブルが報じられ、宮内庁は、「結婚延期とは関係ない」としているが、それ以降、お2人は外で会われていないという。一方で、週刊誌報道の後、小室さんは6回、小室さんの母親は数回、秋篠宮邸を訪れている。また、先月20日にかけて、秋篠宮ご夫妻と眞子さまは天皇皇后両陛下を複数回訪問されていて、週刊誌の報道から6日の結婚延期発表までに調整が続けられていたものとみられる。 ・・・2018/02/08 、NNN24 10:31 配信より
私のコメント : 平成30年2月8日、山口県萩市農業委員会のもとへ、羽毛田 信吾 宮内庁長官 当時、私が、宮内庁へ連絡していた事柄 等、照らしあわせ、山口県萩市農業委員会 職員へ、その確認の連絡を入れた。
………………………………………………………………………………
個人情報開示請求書 平成29年11月17日
山口県知事 様 請求者( 省略)
下記のとおり個人情報の開示を受けたいので、山口県個人情報保護条例第11条第1項の規定により請求します。
記
個人情報の内容
平成29年11月15日、山口県観光スポーツ文化部観光政策課にて、県史編さん室岡本操次長と私が山口県観光スポーツ文化部観光政策課職員も交え懇談した内容に関し、県史編さん室に持ち帰り、県史編さん室岡本操次長が、復命された書面内容の開示請求します。
開示の方法 文書、図画 及び 写真
1 閲覧
2 写しの交付
...........................................................................
(ウィキペディアより、以下は、引用)
羽毛田 信吾(はけた しんご、1942年4月5日 - )は、日本の官僚。厚生省の事務次官、宮内庁次長を経て、2005年から2012年まで宮内庁長官を務めた。
目次 [非表示]
1 人物 1.1 特例会見問題
2 略歴
3 論文
4 脚注
5 参考文書
6 関連項目
人物[編集]
山口県生まれ。幼少の頃は貧しく、社会的弱者への関心を持ったことから、京都大学法学部卒業後の1965年(昭和40年)には厚生省(当時)に入省した[1]。同省へはキャリア官僚として務め、1999年(平成11年)に事務次官に就任した後、2001年に退官した。
同2001年に宮内庁に入庁、2005年に宮内庁長官に就任。宮内庁長官就任後は、内閣総理大臣(当時)・小泉純一郎と同じく、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持し、寛仁親王が結論を批判した際には、発言の自粛を要請した[2]。
2009年(平成21年)9月10日、民主党などによる連立内閣発足に際しては、「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要があると申し上げたい」と述べ、皇位継承の対象を男系の男子皇族に限定している皇室典範改正への取り組みを要請する考えを示した[3]。
2011年(平成23年)2月10日の記者会見では、同年4月におこなわれる英国ウィリアム王子の結婚式への参列皇族を皇太子夫妻とすることについて、天皇・皇后夫妻が別の行事により参列できないことを挙げ、順序として問題がない旨を述べている[4]。
特例会見問題[編集]
詳細は「天皇特例会見」を参照
2009年(平成21年)12月12日、今上天皇と中国の習近平国家副主席との会見が特例扱いとして突然決まり、当初体調不良を理由に断ったものの政府の要請で会見が決まった、天皇特例会見について記者会見し「陛下に心苦しい思いでお願いした。二度とこういうことがあってはならない」と苦言を述べ、陛下の政治的利用につながるという懸念を持っているか?という記者からの質問に対し、「大きく言えばそういうことだ」と述べた[5]。一方、民主党の小沢一郎幹事長はこの発言について同14日に記者会見を開き「政府の一役人が日本国憲法の精神、理念を理解していない、羽毛田長官は辞表を出して言うべきだ。また天皇のお体が優れないのであれば他の行事を休ませるべきだ」と批判[6]、鳩山由紀夫総理も羽毛田の発言に不快感を示した[7]。宮内庁によれば、羽毛田の発言について同庁に1千件の電話やメールが届き、多数が羽毛田の発言を支持するものであったという[8]。一方、民主党に対しては批判が殺到した[9]。
天皇は同15日に国家副主席習近平と会見を行った[10]。
略歴[編集] 年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2015年4月)
山口県立萩高等学校を経て京都大学法学部卒業
1964年9月24日 - 国家公務員採用上級甲種試験(区分:法律)合格
1965年 - 厚生省入省。同期入省に山口剛彦、田中健次(環境事務次官、厚生省薬務局長)など。
北海道企業局経営管理課長
1976年7月31日 - 北海道水産部水産経済課長
環境庁長官官房秘書課課長補佐
1980年7月21日 - 内閣官房内閣参事官室内閣参事官
1983年9月10日 - 厚生省医務局管理課長
1984年7月1日 - 厚生省保健医療局管理課長
1985年8月27日 - 厚生省保健医療局老人保健部計画課長
1986年6月13日 - 厚生省保健医療局企画課長
1987年9月25日 - 厚生省保険局企画課長
1988年6月7日 - 厚生省大臣官房総務課長
1990年6月29日 - 厚生省大臣官房審議官(内閣官房内閣内政審議室内閣審議官併任)
1992年1月28日 - 内閣官房内閣参事官室首席内閣参事官(内閣総理大臣官房総務課長併任)
1995年7月7日 - 厚生省老人保健福祉局長
1998年7月7日 - 厚生省保険局長
1999年8月31日 - 厚生事務次官
2001年 1月5日 - 退官
4月2日 - 宮内庁次長
2005年4月1日 - 宮内庁長官
2012年 6月1日 - 依願退官
6月7日 - 宮内庁参与
2013年 - 昭和館館長
論文[編集]
国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所
脚注[編集]
1.^ http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/koushitsu/336593/
2.^ “三笠宮寛仁さま発言、「憂慮」と宮内庁長官”. 読売新聞. (2006年1月12日)
3.^ “「皇位継承問題、対処を」 新内閣に宮内庁長官要請へ”. 共同通信社. 47NEWS. (2009年9月10日) 2012年2月18日閲覧。
4.^ “英王子結婚式参列「順序として皇太子ご夫妻が自然」”. スポーツニッポン. (2010年2月10日) 2012年2月18日閲覧。
5.^ “「二度とあってほしくない」=陛下と中国副主席の会見設定で宮内庁長官”. 時事通信社. (2009年12月11日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
6.^ “小沢氏、宮内庁長官を批判 天皇陛下特例会”. 日本経済新聞. (2009年12月15日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
7.^ “首相、羽毛田宮内庁長官の対応に不快感”. 読売新聞. (2009年12月15日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
8.^ “宮内庁に意見1千件超、羽毛田長官支持が多数”. 読売新聞. (2009年12月14日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
9.^ “「特例面会」めぐり宮内庁に支持メール多数民主党本部には苦情の電話殺到”. フジニュースネットワーク. (2009年12月15日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
10.^ “天皇陛下、中国副主席と会見”. 読売新聞. (2009年12月15日) 2009年12月16日閲覧。[リンク切れ]
参考文書[編集] 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2010年7月)
『産経新聞』 2005年4月1日
『読売新聞』 朝刊 2005年11月11日
『読売新聞』 朝刊 2006年9月13日
関連項目[編集]
皇位継承問題 (平成)
日本の旗 宮内庁長官(2005年-2012年)
宮内卿
万里小路博房:1869.7.8(旧暦:明治2.5.29)-1871.6.25(旧暦:明治4.5.8) |
徳大寺実則:1871.11.29(旧暦:明治4.10.17)-1884(明治17).3.21 |
伊藤博文:1884(明治17).3.21-1885(明治18).12.22
宮内大臣
伊藤博文:1885(明治18).12.22-1887(明治20).9.16 |
土方久元:1887(明治20).9.16-1898(明治31).2.9 |
田中光顕:1898(明治31).2.9-1909(明治42).6.16 |
岩倉具定:1909(明治42).6.16-1910(明治43).4.1 |
渡辺千秋:1910(明治43).4.1-1914(大正3).4.9 |
波多野敬直:1914(大正3).4.9-1920(大正9).6.18 |
中村雄次郎:1920(大正9).6.18-1921(大正10).2.19 |
牧野伸顕:1921(大正10).2.19-1925(大正14).3.30 |
一木喜徳郎:1925(大正14).3.30-1933(昭和8).2.14 |
湯浅倉平:1933(昭和8).2.14-1936(昭和11).3.6 |
松平恒雄:1936(昭和11).3.6-1945(昭和20).6.4 |
石渡荘太郎:1945(昭和20).6.4-1946(昭和21).1.16 |
松平慶民:1946(昭和21).1.16-1947(昭和22).5.3
宮内府長官
松平慶民:1947(昭和22).5.3-1948(昭和23).6.5 |
田島道治:1948(昭和23).6.5-1949(昭和24).5.31
宮内庁長官
田島道治:1949(昭和24).6.1-1953(昭和28).12.16 |
宇佐美毅:1953(昭和28).12.16-1978(昭和53).5.26 |
富田朝彦:1978(昭和53).5.26-1988(昭和63).6.14 |
藤森昭一:1988(昭和63).6.14-1996(平成8).1.19 |
鎌倉節:1996(平成8).1.19-2001(平成13).4.2 |
湯浅利夫:2001(平成13).4.2-2005(平成17).4.1 |
羽毛田信吾:2005(平成17).4.1-2012(平成24).6.1 |
風岡典之:2012(平成24).6.1-2016(平成28).9.26 |
山本信一郎:2016(平成28).9.26-現在