風雨原因?本殿の屋根崩落 京都・元伊勢外宮豊受大神社 |
2018/04/15 23:14
京都府福知山市大江町天田内の元伊勢外宮豊受大神社で15日朝、本殿のかやぶき屋根が幅8メートルにわたって崩落しているのを、河田光稔宮司(42)が見つけた。老朽化と前日からの風雨が原因とみられる。けが人はなかった。豊受大神社は、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市に遷座する前に祭られていたと伝わる「元伊勢三社」の一つ。同神社によると、屋根は約20年前にふき替えたのが最後で、10年に1度のふき替え時期を過ぎていた。腐食した屋根が雨を吸い込み、重みで崩れたとみている。・・・ 2018/04/15 、京都新聞社 23:14 配信より
私のコメント : 平成30年4月16日、山口県立山口高等学校 栗林正和校長先生と私は、対談し、過去、立教大学 大久保 利謙教授と私が対談していた 山口市 における 当時の内容も踏まえ、山口県文書館に 現在 勤務をされている職員の話題となる。また、下記からの対応があり、平成30年4月15日に、今月の地震で被害を受けた島根県大田市の状況も踏まえ、山口県山口市上清水町内会総会が、山口市白石地域交流センターにて、開催され、上清水町内会活動報告、「安心、安全な地域づくりに関する事業」について、私から、山口県立山口高等学校 栗林正和校長先生へ 簡略な説明を入れた。
平成26年10月「長州藩士桂家文書」論文、立正大学から入手。伊木寿一、石橋湛山による研究方法、私は、拝聴している。
平成27年10月、津和野町 宮本常一氏と日原町史との関係、卒業論文「萩藩宝暦の改革と熊谷五右衛門」、慶應義塾 西川俊作教授の許へ提出、父が、山口県文書館に勤務していた当時、私が見聞した文化交流の経緯を津和野町教育委員会へ説明。
「防長風土注進案」「萩藩閥閲録」は、伊木寿一の支援を受け、山口県文書館 研究主事の努力より、完成されたものである。
平成28年6月7日、島根県吉賀町職員より「吉賀記を読む」に関し、説明を受けた。
平成28年12月5日、島根県 益田市役所 総務部より連絡を私は、いただいた。
山口県 山口市役所 企画経営課 政策調整 主幹 と面談した。
山口県 AIR SEOUL 空港 職員と連絡を持ち、山口県 環境政策課との間にて 私は、面談をした。その内容は、「 外務省 いわゆる 密約書 不在の問題 」に関係している。
平成28年12月22日、山口県庁 県史編さん室との対応あり、よって、萩市 総務課 秘書室 三好亮二秘書係長より、萩市の見解を聞く。島根県 津和野町 商工観光課 職員と私は、津和野 観光に関する面談もし、津和野町 教育委員会 文化財係 主任と山口県・島根県に亘る 文化財に関する課題 等 説明 申し上げた。
平成30年3月27日、島根県 益田市 危機管理課 と「外務省 いわゆる 密約書 不在の問題」に関係し、益田市長に対し対応もあり、公文書開示請求を提出し、島根県 下森博之津和野町長、岩本一巳吉賀町長、山口県 渡辺純忠山口市長、秘書室 近藤様 関係 各位と私との面談対応あり、更に、溝口 善兵衛 島根県知事、島根県庁の関与 内容に関しては、益田市 危機管理課 廣瀬 雅 課長と私は対談する。
平成30年4月15日、今月の地震で被害を受けた島根県大田市の状況も踏まえ、山口県山口市上清水町内会総会が、山口市白石地域交流センターにおいて、開催され、上清水町内会活動報告、「安心、安全な地域づくりに関する事業」、(自主防災組織立ち上げを提案し、今後毎年防災訓練を実施し、万一の災害発生に備えることとします。)、内容詳細についても、山口市白石地域交流センター 上清水町内会では、話し合われた。「山口県内 山口市 国道2号線 沿いに 沿っても、その地震 活断層が存在しており、いつ 震度 5程度の地震が、山口県でも、発生しても おかしくないという状況にあるため 」、よって、山口県 山口市 上清水町内会 自主防災会 防災長に対して、私は、「平成30年度 活動報告、会計報告 福祉報告 監査報告 今まで、永年にわたり、上清水町内会総会に 全く、出席をされていない 上清水町内にある 山口中央幼稚園 園長 職員の関係者各位には、その幼稚園に通園されている児童、保護者のマナー、その防災安全教育もかんがみ、山口市 上清水町内会 自主防災会 防災長からも、上清水町内会 自主防災会との意思疎通をはかっていかなければいけないという 現状認識、上清水町内会 自主防災会における 議論の内容、山口中央幼稚園 園長の心情、その努力に関し 具体的に、申し述べた。
平成30年4月15日、山口県 山口市糸米 山口県立山口高等学校 栗林正和校長先生より、私のもとに連絡が入り、今回、連絡が入った事案について、山口県立山口高等学校 栗林正和校長先生と私は、その対談をした。
島根県 石見地方は、1778年にM6.5、1859年にM6.0~6.5の地震が発生しています。1997年6月には、山口・島根県境付近で地震(M6.6)が発生しています。
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大久保 利謙(おおくぼ としあき、1900年(明治33年)1月25日 - 1995年(平成7年)12月31日)は、日本の歴史学者。
人物・業績[編集]
明治維新・文明開化を担った(維新三傑の一人)大久保利通の孫で、大久保家当主。母方の祖父は実業家・近藤廉平。父(大久保利武)の没後は、侯爵として貴族院議員を務めた[1][2]。長男は大久保利泰(1934年 - )で、社団法人霞会館常務理事を務めている。
戦後は歴史学者として、名古屋大学教授、立教大学教授を歴任し、日本近代史学研究を、草創期から大きく発展させた。
東京帝国大学卒業の際の論文は、近世史をテーマにしたものであった。理由は、当時の史学界においては、維新以後の歴史については、歴史家は触れてはいけないという空気が強かったからである(聞き書きによる回想録『日本近代史学事始め』より)。
戦時下では、大義名分論と国粋主義・排外主義を本質とし神話と歴史的事実を混同する「皇国史観」に対して批判的立場を採り、東京帝国大学を中心とした官学アカデミズム歴史学や、戦後流行したマルクス主義歴史学とも異なる、実証主義を本領とした独自の近代史研究を構築した(『著作集 第8巻』解説より)。
研究論考は、政治史・文化史・教育史等と広範に亙るが、特に大学史・史学史などの学芸史にすぐれた業績を残している。明治文化研究会に参加し、『東京帝国大学五十年史』の編纂に従事した際には教育史・文化史関係を、薩藩史研究会に参加し、重野安繹家文書の調査を通じては史学史の研究を、シーボルト文献の調査を通じ、洋学・蘭学史を研究紹介した。
多面的な活躍は、出自と絡みたどった経歴と深く関係している。戦後、国立国会図書館「憲政資料室」の開設にあたり、明治の元勲の子孫たちが多く、大久保を通じ資料を提供し、近現代史学研究を開拓発展させたことも特筆される(『日本近代史学事始め』より)。
略年譜[編集]
•1900年、父大久保利武(大久保利通三男、当時鳥取県知事)、母近藤廉平長女・栄の長男として、東京市牛込区(現在の東京都新宿区)に誕生。初名は譲。
•1908年、利謙と改名。
•1913年、学習院初等科卒業(東京市麹町区富士見町小学校より転入)。
•1918年、学習院中等科卒業。
•1922年、学習院高等科卒業。河上肇の『貧乏物語』などを愛読し、京都帝国大学経済学部入学。しかし、病気のため3年在学ののち退学。
•1926年、東京帝国大学文学部国史学科入学。
•1928年、東京帝国大学文学部国史学科卒業(卒業論文「戦国諸侯の政策における近世的傾向」)。東京帝国大学文学部副手として国史研究室に勤務。『東京帝国大学五十年史』編纂嘱託。
•1934年、薩藩史研究会結成。シーボルト文献調査嘱託。
•1935年、尾佐竹猛の推挙により明治大学法学部講師。
•1938年、『帝国学士院六十年史』編纂嘱託。『貴族院五十年史』編纂嘱託。
•1943年、父利武の死去に伴い侯爵襲爵、貴族院議員となる。
•1949年、国立国会図書館憲政資料室設置に伴い同室主任となる。
•1951年、国立国会図書館司書。
•1953年、名古屋大学教育学部教授。
•1958年、立教大学文学部専任講師を兼任[3]。
•1959年、名古屋大学教授退官。立教大学文学部教授。
•1962年、立教大学大学院文学研究科日本史専攻博士課程主任。
•1964年、霞会館の華族会館史編纂委員を委嘱。
•1965年、立教大学教授定年退職。
•1981年、国立国会図書館客員調査員。
•1993年、朝日賞受賞。
•1995年、死去。95歳没。
主な著書[編集]
•『日本近代文芸』 三笠書房(日本歴史文庫)、1939年5月
•『日本近代史学史』 白揚社、1940年10月
•『日本の大学』 創元社〈創元選書〉、1943年5月/日本図書センター、1981年/玉川大学出版部、1997年、オンデマンド版2008年
•『森有礼 日本教育先哲叢書18』 文教書院、1944年4月
•『明治憲法のできるまで』 至文堂〈日本歴史新書〉、1956年12月、増補版1966年
•『岩倉具視』 中央公論社〈中公新書〉、1973年(増補版1990年8月)
•『明六社考』 立体社、1976年/「明六社」講談社学術文庫、2007年10月
•『佐幕派論議』 吉川弘文館、1986年5月
•『大久保利謙歴史著作集 (全8巻)』 吉川弘文館、1986年2月-93年6月(オンデマンド版2007年) ◦1.明治維新の政治過程
◦2.明治国家の形成
◦3.華族制の創出
◦4.明治維新と教育
◦5.幕末維新の洋学
◦6.明治の思想と文化
◦7.日本近代史学の成立
◦8.明治維新の人物像
•『日本近代史学事始め』 岩波書店〈岩波新書〉、1996年1月
年譜・著述目録[編集]
•『大久保利謙歴史著作集』第8巻
•『日本近代史学事始め』
参考文献[編集]
•林英夫「「大久保利通関係文書」と「大久保利謙文庫」:追悼の言葉に託して」、『史苑』第57巻第1号、立教大学史学会、1996年、 110-112頁。
外部リンク[編集]
•国立国会図書館 憲政資料室 大久保利謙旧蔵文書
脚注[編集]
1.^ 『貴族院要覽 昭和21年12月増訂 丙』貴族院事務局、1947年、p.52
2.^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年、p.13
3.^ 立教大学講師着任の経緯は、林英夫 1996を参照。
・・・ Wikipedia フリー百科事典 よりの引用