防府市長選 新人2人が立候補 |
05月20日 19時22分、山口 NEWS WEB 配信より
任期満了に伴う防府市の市長選挙が20日告示され、ともに県の部長を務めた無所属の新人2人が立候補し、7日間の選挙戦に入りました。防府市長選挙に立候補したのは届け出順に、いずれも無所属の新人で自民党と公明党が推薦し県の総合企画部理事や総務部長を務めた池田豊氏(60)と、防府市の社会福祉事業団理事長で県の産業戦略部長や防府市の副市長を務めた村田太氏(61)の2人です。今回の選挙はともに県の部長を務めた経験がある保守系の新人2人による一騎打ちとなりました。選挙戦で、池田氏は「今回の選挙は20年続いた市政を継承するのか刷新するのかの選択の選挙だ。私はまず県や国としっかり連携する市政に変える。子どもから大人まで笑顔と笑い声が絶えない明るくて元気で豊かな子どもたちが住み続けたいと思う防府。遠くへ行った友達が戻ってきたくなる防府を目指す」と訴えました。また、村田氏は「私が目指すのは日本一の定住都市だ。若者が防府にとどまる、集まる町にしていかなければ防府の未来は描けず若者が楽しめる町を全力でつくり上げていきたい。この町を20年間支えてきた松浦市長から引き継いで新たにさらにさらに前に進めていく本気で進めていくリーダーになる」と訴えました。選挙では引退を表明した松浦正人市長が支援する元副市長の村田氏が支持を得てこれまでの市政を継続するのか、それとも市政の刷新を訴える池田氏が支持を集めるのか有権者の判断が注目されます。防府市長選挙の投票は、一部の地域を除いて今月27日に行われ、即日開票されます。
私のコメント : 平成30年5月21日、任期満了に伴う防府市の市長選挙が20日告示され、ともに県の部長を務めた無所属の新人2人が立候補し、7日間の選挙戦に入りました。防府市長選挙 候補者 皆様、選挙運動における補助員 皆様方の、防府市内での、そのご健闘を祈る。
平成30年5月20日、山口県 防府市教育委員会 主催 「上山満之進 没後80年展」 防府市 アスピラート に行く。「上山満之進 没後80年展」 ギャラリートーク 講師 児玉識氏 と私は、対談し、過去、文化庁長官 故河合隼雄氏が、その文化庁長官在任時、山口県防府市に、その来訪をされる際、私が、文化庁長官 秘書室との、その来訪時における理由も、持っており、現在に至り、それが、その後の文部科学省 文部科学大臣 政務官室 と私との対応経緯ともなっているために、よって、私から、「上山満之進 没後80年展」 児玉識氏が、「月性生誕200年記念誌 月性生誕200年記念事業実行委員会」へ、その寄稿文 『 蘇った大正時代制作の映画「海防僧妙円寺月性上人」について(追考) 』 の80ページ目における記載 内容について、お尋ねを入れて、児玉識氏からの記載事項における、現況についての面談 説明していただくことができた。 東京国立近代美術館 映画部門「フィルムセンター」(東京都中央区)が平成30年4月に同館から独立し、映画に特化した美術館「国立映画アーカイブ」に昇格するという、今回の同センターの独立についても 故河合隼雄氏が、その文化庁長官在任時における、その方向性決めるにあたり、尽力をした関係者としての立場がある私は、今回、当該 児玉識氏と私の対談おいても、NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」放映時における 女優からの演技 内容、防府市役所、防府市長、防府市教育委員会 からの文化財行政における各対応、大きい旨も、私から、児玉識氏、「月性生誕200年記念誌 月性生誕200年記念事業実行委員会」への寄稿文 『 蘇った大正時代制作の映画「海防僧妙円寺月性上人」について(追考) 』 その著作者 本人へ、それを説明することができた。
平成30年5月13日、山口県 防府市教育委員会 主催 「上山満之進 没後80年展」 防府市 アスピラート に行き、ギャラリートーク 講師 児玉識氏から 「上山満之進 没後80年展」 各展示物内容 の説明も、それを拝聴し、宮内庁 宮務課、衆議院予算委員会 予算委員長 河村建夫代議士、並び、河村建夫代議士の奥様との間にて、私が対談している内容、及び、田中義一先生、田中龍夫先生、佐藤榮作先生、佐藤信二先生、亀井久興先生、亀井亜紀子先生 等 と中華民国 政府との 今まで至る、対応もあるため、また、過去、外務省 官房総務課より、勤務先 山口県立防府商業高等学校 私のもとへ、台湾総督、枢密院顧問官 等 歴任された「上山満之進」に関係する内容に関し、その連絡入っていたという経緯もあり、私は、児玉識氏と対談した。
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映画専門の国立美術館誕生へ 重文フィルムなど8万本所蔵
2018年03月22日 06時00分、京都新聞 配信より
東京国立近代美術館の映画部門「フィルムセンター」(東京都中央区)が4月に同館から独立し、映画に特化した美術館「国立映画アーカイブ」に昇格する。ゆかりのある京都の関係者は「公的に映画が歴史的遺産として認められた」と評価し、貴重なフィルムの保存や映写技術の継承に弾みがつくと期待する。同センターは1970年に開館し、歴史的価値の高いフィルムの収集や修復、学術研究を行っている。所蔵フィルムは1899年撮影の「紅葉狩」など重要文化財3件を含め約8万本に上る。4月から京都国立近代美術館(京都市左京区)などと並ぶ6施設目の国立美術館になる。独立の目的はフィルム保存に向けた組織基盤の強化だ。文化庁からの運営交付金に加え、映画文化への特化をアピールして寄付の受け入れ拡大を目指す。職員60人のうち有期雇用の映写技術者ら約50人の正規雇用化を進め、デジタル撮影の普及に伴って希少となった映写技術の維持も図る。ユネスコ(国連教育科学文化機関)は1980年の勧告で映画をはじめとする映像保存を各国に求めた。しかし、フランスが職員300人の国立機関で進め、韓国は製作者に国へのフィルム納入を義務付けているのに比べ、日本は体制整備が遅れていた。「近年は名作を繰り返し見る人が増え、日本作品への海外の関心も高まったことが後押しとなった」と、京都文化博物館の森脇清隆・映像情報室長はみる。京都はかつて「日本のハリウッド」と呼ばれるほど撮影が盛んな地で、フィルム収集も府がフィルムセンター開館と同じ70年代に始めただけに、「映画が学術的に認められたことになる」と歓迎する。同センターの独立は故河合隼雄氏が文化庁長官在任時に方向性を決めたものだった。同庁文化部長として河合氏の意を受け、2003年に映画振興の12提言をまとめた映画評論家の寺脇研・京都造形芸術大教授は「一部の映画マニアだけを対象とせず、商業的には上映の難しい無名な若手の作品を取り上げるなど、新たな作品を生み出す支援にも活動を広げてほしい」と訴えている。【 2018年03月22日 06時00分 】