追悼・西城秀樹さん、・・・ 歌手、岩崎宏美、 |
2018/05/21 17:08 zakzak 配信より
16日、急性心不全のため、63歳で死去した歌手、西城秀樹さん。最後までファンの前で、かっこいい“ヒデキ”であり続けた。そんな西城さんの全身全霊を込めたスターとしての姿を、誰もが忘れることができない。昨年3月、夕刊フジ「健活手帖」での闘病インタビューで、西城さんに取材したジャーナリスト、山岸信美氏は、懸命にインタビューに応じる姿が目に焼き付いて、忘れられない。「インタビューではろれつも回らず、聞き取りにくく、何を言っているのか分からないところもありました。それでも包み隠さず覚悟を決めて、一生懸命に答えようとしているのが分かりました」と明かす。マネジャーの肩に手を置いて、先導されるように取材場所に現れた西城さん。インタビューは約1時間ほどだったが、その間も右手の震えはとまらず、それを左手で押さえながら、一言一言を語っていたという。それでも、インタビュー最後の写真撮影では、「さすがスターだ」と感じたというのだ。「カメラを向けると、笑顔をみせて、体の震えも止まり、病気なんて感じさせないんです。本当にかっこよかった。その後、ステージをみる機会があったのですが、ステージでもしっかりとしていた。ファンの方もその一生懸命な姿に涙しているんです。私も写真を撮りながら、涙が出てきました」と明かす。もうひとり、西城さんのかっこよさを伝えるエピソードを明かすのは、かつて同じ事務所の後輩だった歌手、岩崎宏美(59)だ。「私がまだデビューして間もないころ、名古屋だったかヒデキのコンサートがあって、1部が同じ事務所の若手が出演して、2部がヒデキだった。そのとき照明の上にある調光室でヒデキのコンサートを初めてみて、『ラストシーン』(1976年発売のシングル)を歌う姿があまりにもかっこよくて…。私もカバーアルバムで歌っているんです」それだけに西城さんの突然の死に言葉を失う。「元気がないヒデキの姿はできれば見たくなかったので、何とかならないかとずっと思っていただけに…複雑です。でも夏にあるアコースティックコンサートでは『ラストシーン』を歌おうと思います」日本人の心の中に生き続けるスターだ。
私のコメント : 平成30年5月16日、急性心不全のため、63歳で死去した歌手、西城秀樹さん。最後までファンの前で、かっこいい“ヒデキ”であり続けた。西城さんのかっこよさを伝えるエピソードを明かすのは、かつて同じ事務所の後輩だった歌手、岩崎宏美だ。それだけに西城さんの突然の死に言葉を失う。 「元気がないヒデキの姿はできれば見たくなかったので、何とかならないかとずっと思っていただけに…複雑です。でも夏にあるアコースティックコンサートでは『ラストシーン』を歌おうと思います」、日本人の心の中に生き続けるスターだ。
平成30年5月21日、山口県 観光スポーツ文化部 国際課 山野雅子主査と面談し、その対応もあるため、山口県 観光スポーツ文化部 観光政策課 柴崎泰副課長と私は、山口県庁にて、面談し、下記の対応もある 防府市役所 教育委員会 教育部 教育総務課 徳永桂子室長、並び、円通寺 児玉識 住職 と私との関係する防府市教育委員会 主催「上山満之進 没後80年展」資料を手渡し、山口県 観光政策課において、その資料における稟議していただけるようにと、山口県 観光スポーツ文化部 観光政策課 柴崎泰副課長へ、手渡す際、私は、申し伝えた。
平成30年5月20日、山口県 防府市教育委員会主催「上山満之進 没後80年展」 防府市 アスピラート に行く。「上山満之進 没後80年展」 ギャラリートーク 講師 児玉識氏 と私は、対談し、過去、文化庁長官 故河合隼雄氏が、その文化庁長官在任時、山口県 防府市に、その来訪をされる際、私が、文化庁長官 秘書室との、その来訪時における理由も、持っており、現在に至り、それが、その後の文部科学省 文部科学大臣 政務官室 と私との対応経緯ともなっているために、よって、私から、「上山満之進 没後80年展」 児玉識氏が、「月性生誕200年記念誌 月性生誕200年記念事業実行委員会」へ、その寄稿文 『 蘇った大正時代制作の映画「海防僧妙円寺月性上人」について(追考) 』 の80ページ目における記載 内容について、お尋ねを入れて、児玉識氏からの記載事項における、現況についての面談 説明していただくことができた。 東京国立近代美術館 映画部門「フィルムセンター」(東京都中央区)が平成30年4月に同館から独立し、映画に特化した美術館「国立映画アーカイブ」に昇格するという、今回の同センターの独立についても 故河合隼雄氏が、その文化庁長官在任時における、その方向性決めるにあたり、尽力をした関係者としての立場がある私は、今回、当該 児玉識氏と私の対談おいても、NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」放映時における 女優からの演技 内容、防府市役所、防府市長、防府市教育委員会 からの文化財行政における各対応、大きい旨も、私から、児玉識氏、「月性生誕200年記念誌 月性生誕200年記念事業実行委員会」への寄稿文 『 蘇った大正時代制作の映画「海防僧妙円寺月性上人」について(追考) 』 その著作者 本人へ、それを説明することができた。
平成30年5月13日、山口県 防府市教育委員会 主催 「上山満之進 没後80年展」 防府市 アスピラート に行き、ギャラリートーク 講師 児玉識氏から 「上山満之進 没後80年展」 各展示物内容 の説明も、それを拝聴し、宮内庁 宮務課、衆議院予算委員会 予算委員長 河村建夫代議士、並び、河村建夫代議士の奥様との間にて、私が対談している内容、及び、田中義一先生、田中龍夫先生、佐藤榮作先生、佐藤信二先生、亀井久興先生、亀井亜紀子先生 等 と中華民国 政府との 今まで至る、対応もあるため、また、過去、外務省 官房総務課より、勤務先 山口県立防府商業高等学校 私のもとへ、台湾総督、枢密院顧問官 等 歴任された「上山満之進」に関係する内容に関し、その連絡入っていたという経緯もあり、私は、児玉識氏と対談した。
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映画専門の国立美術館誕生へ 重文フィルムなど8万本所蔵
2018年03月22日 06時00分、京都新聞 配信より
東京国立近代美術館の映画部門「フィルムセンター」(東京都中央区)が4月に同館から独立し、映画に特化した美術館「国立映画アーカイブ」に昇格する。ゆかりのある京都の関係者は「公的に映画が歴史的遺産として認められた」と評価し、貴重なフィルムの保存や映写技術の継承に弾みがつくと期待する。同センターは1970年に開館し、歴史的価値の高いフィルムの収集や修復、学術研究を行っている。所蔵フィルムは1899年撮影の「紅葉狩」など重要文化財3件を含め約8万本に上る。4月から京都国立近代美術館(京都市左京区)などと並ぶ6施設目の国立美術館になる。独立の目的はフィルム保存に向けた組織基盤の強化だ。文化庁からの運営交付金に加え、映画文化への特化をアピールして寄付の受け入れ拡大を目指す。職員60人のうち有期雇用の映写技術者ら約50人の正規雇用化を進め、デジタル撮影の普及に伴って希少となった映写技術の維持も図る。ユネスコ(国連教育科学文化機関)は1980年の勧告で映画をはじめとする映像保存を各国に求めた。しかし、フランスが職員300人の国立機関で進め、韓国は製作者に国へのフィルム納入を義務付けているのに比べ、日本は体制整備が遅れていた。「近年は名作を繰り返し見る人が増え、日本作品への海外の関心も高まったことが後押しとなった」と、京都文化博物館の森脇清隆・映像情報室長はみる。京都はかつて「日本のハリウッド」と呼ばれるほど撮影が盛んな地で、フィルム収集も府がフィルムセンター開館と同じ70年代に始めただけに、「映画が学術的に認められたことになる」と歓迎する。同センターの独立は故河合隼雄氏が文化庁長官在任時に方向性を決めたものだった。同庁文化部長として河合氏の意を受け、2003年に映画振興の12提言をまとめた映画評論家の寺脇研・京都造形芸術大教授は「一部の映画マニアだけを対象とせず、商業的には上映の難しい無名な若手の作品を取り上げるなど、新たな作品を生み出す支援にも活動を広げてほしい」と訴えている。【 2018年03月22日 06時00分 】
〇 あゝ決戦航空隊 (1974年)、
〇 愛と誠 (1974年)、・・・・・・・・