姿を消した伊藤博文像 説明板で数奇な運命紹介へ |
神戸新聞NEXT
2018/05/31 16:00 配信より
戦中まで神戸市中央区の大倉山公園に立ち、現在は台座のみが残る初代兵庫県知事、伊藤博文の銅像について知ってもらおうと、神戸市が周辺を整備している。県政150年に合わせ、数奇な運命をたどって失われた銅像の歴史を紹介する説明板を作り、フェンスやアプローチを新設。周囲の植栽を刈り込んで見えやすくする。
市によると、台座は9・15メートル四方で高さ5・7メートル。実はこの台座の上にあった銅像は2代目で、初代は1904年に同区の湊川神社本殿横に設置された翌年、日露戦争の講和条約の内容に不満を募らせた民衆に引き倒され、姿を消した。
伊藤が暗殺されてから2年後の11年、親交のあった大倉財閥創始者、大倉喜八郎が再建し、神戸市に寄付したのが2代目だ。
高さ約3メートルの銅像は、フロックコートを着用し、自身が起草の中心となった帝国憲法草案を手にしていた。大倉山の頂上に建てられ、神戸港に入る船からも見えたという。その後、現在の台座の場所へ移され、戦局悪化に伴って42年に金属供出で姿を消した。
台座の設計は、京都大学の時計台や京都府立図書館などを手掛け、「関西建築界の父」と呼ばれた武田五一。その重厚な意匠は、弟子の一人、吉武東里がデザインしたとされる国会議事堂にも通じる。伊藤は26~27歳の時、初代兵庫県知事を務め、後に初代内閣総理大臣に就任した。
市は、台座へのアプローチを作り、高さ約2メートルあったフェンスを1・2メートルの見やすいものに新調。建造当時の写真入りの説明板を立てる。7月初旬に作業を終え、同月12日の県政150年記念の日までに公開する方針。(霍見真一郎)
私のコメント : 戦中まで兵庫県 神戸市中央区の大倉山公園に立ち、現在は台座のみが残る初代兵庫県知事、伊藤博文の銅像について知ってもらおうと、神戸市が周辺を整備している。県政150年に合わせ、数奇な運命をたどって失われた銅像の歴史を紹介する説明板を作り、フェンスやアプローチを新設。周囲の植栽を刈り込んで見えやすくする。 兵庫県 神戸市 文化財保護課からの今後の対応についても、伊藤博文の銅像に関与している 利害関係者は、その見守をしていきたい。兵庫県 神戸市は、台座へのアプローチを作り、高さ約2メートルあったフェンスを1・2メートルの見やすいものに新調。建造当時の写真入りの説明板を立てる。7月初旬に作業を終え、同月12日の兵庫県政150年記念の日までに公開する方針。

































