2年間“理事長”“学長”が不在の名門「日本女子大」 調停役も激怒する異常事態 |
1/15(火) 6:01、新潮社 週刊新潮 WEB取材班 配信 より 週刊新潮 2019年1月15日 掲載 新潮社
「本女(ポンジョ)」の略称で知られる日本女子大学で異変が起きている。1901年の創立には、NHKの連続テレビ小説『あさが来た』で主役のモデルになった女性実業家の広岡浅子も関わった、そんな名門女子大学に何があったのか。
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「世間ではあまり知られていませんが、日本女子大学は約2年間、理事長と学長が不在になっています」
そう証言するのは、さる大学関係者だ。大学内では、トップの蟻川芳子・理事長代行(78)を支持するグループと、No.2の大場昌子・学長代行(60)を支持するグループが、対立を深めていることが問題の背景にあるという。
「学長選挙では、まず学長候補選考委員会が、3名以上5名以内の候補者を選びます。次に、付属校も含めた全教職員が候補者に投票し、1名を学長候補として選ぶのです。大場さんは、過去3回の選挙すべてで最多得票を得て、学長候補に選ばれています。つまり、教職員からの支持は厚いわけです。ですが、少数の蟻川派の理事や評議員が、大場学長を最終的に指名することを拒否し続けています」(同・大学関係者)
この関係者によると、学長候補は最終的に、理事会と評議会で、それぞれ3分の2以上のメンバーから賛同を得なければならないという。
「蟻川派は、大場さんが博士号を持っていない点などをあげつらい、学長にふさわしくないと主張しています。でも、要するに彼女たちは、自分たちに従わない大場さんが疎ましいだけのです。いずれにしても、蟻川派が態度を軟化させない以上、埒が明きません。そこで理事会と評議会は昨年10月、事態の収拾を図るため、賛成多数で決議した上、調停を第三者に依頼しました。調停役に選ばれたのは、文部大臣もつとめた有馬朗人・東大元総長と西原春夫・早大元総長、それに本学出身で作家の平岩弓枝さんの3名です」(同・大学関係者)
西原早大元総長が11月20日から連日、理事会や評議会のメンバーにヒアリングを開始。予定では12月中に調停案が示され、一件落着となるはずだった。しかし、事態が一変する出来事が起きる。
「調停結果が蟻川理事長代行の望む人事の結果にならないと見たのでしょう。蟻川理事長代行が『もともと私は調停に反対だった』と言い出したのです。第三者に調停を依頼することは、理事会や評議会で決まったことですし、西原さんたちに調停役をお願いしたのは蟻川理事長代行ご自身です。彼女のこの言動には、さすがに呆れてしまいました」(同・大学関係者)
〈屈辱的なのは…〉
別の大学関係者が続けて言う。
「調停は順調に進んでいたのに、蟻川理事長代行はそのことを文科省にきちんと報告しませんでした。その結果、文科省から11月30日付で、大学に対して異例の通知が出されました。大学が選んだ調停役ではなく、日弁連の第三者委員会に関するガイドラインに従って第三者委員会を選べ、という内容でした。加えて、その第三者委員会の意見を聞いて、今年1月31日までに新学長などを選ぶように、と一方的に通達されてしまったのです」
この通達に怒ったのは、有馬東大元総長や西原早大元総長だ。大学から依頼を受けて調停に乗り出していたのに、蟻川さんから梯子を外されて面目を潰されたからである。調停役を辞した西原早大元総長は、昨年12月3日付で蟻川さんに調停役の辞任届けを提出。そこには、次のような苛烈な一文が記されていた。
屈辱的なのは、文部科学省当局において調停手続きの開始の意義が十分認識されていなかったがために、本学が自治能力を失ったと判断されたことである〉
御年90歳にして、かくしゃくたる西原早大元総長ご本人に直接話を伺うと、
「私学の自由を保つためには、文部科学省からこんな風にものを言われちゃいかんのです。蟻川理事長代行は、ああいう通知を出させないためにも、文部科学省に自ら足を運ぶべきでした。そして、東大総長と文部大臣まで経験された有馬さんという神様のような人に調停をお願いしたのだから、『調停の結論が出るまで待ってください』と説明しなくてはいけませんでした。でも蟻川理事長代行は、そうしなかった。そうした一連の不作為は、極めて問題があったと言わざるをえません」
蟻川理事長代行は何と答えるか
現在、第三者委員会のメンバーに選任された弁護士3名が、新理事長と新学長の選考を進めようとしているのだが、
「西原さんたち調停役と違い、第三者委員会の委員は、正式に理事会に諮ったものではありません。“蟻川派”の事務局長らが勝手に選んだものです。理事会の理事たちは、『なぜそんな方々の意見を聞かなくてはならないのか』と不満を募らせています」(先の大学関係者)
一連の問題について、蟻川理事長代行に尋ねると書面で、
「自分の言動が、“文部科学省の私学に対する介入を招いた”とは考えていません。第三者委員会は理事会で所定の手続きを経て設置しました」
と、回答した。最後に、西原早大元総長に訊くと、
「1月末までに、第三者委員会で結論を出せという話になっているようですが、そりゃ無茶な話ですよ。やるべきことをやってこなかったから、こんなことになってしまったのです。蟻川理事長代行は『私は悪くない』と言っているようですが、最高責任者でしょう。はっきり言って、マネジメントに問題がある。残念でなりません」
受験シーズンの真っ最中の名門女子大学を揺るがす騒動。さて、どんな結末が待っているのか。
週刊新潮WEB取材班 2019年1月15日 掲載 新潮社
私のコメント : 平成31年2月14日、日本女子大学 総務課 と私は、以下の経緯があり、その連絡対応を持ち、成瀬仁蔵 没後 50年祭 山口市にて、 当時 開催をされているため、山口県教育委員会 関係者も 列席されていたという 山口市 成瀬仁蔵 没後 50年祭 当時の状況について、説明を入れて、成瀬仁蔵 没後 100年祭 に関する 山口県知事、山口県教育委員会、山口市長、山口市教育委員会 による 現在のそれぞれにおける、その対応内容に関しては、その説明をおこなった。
平成31年2月14日、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原忍 室次長から 下記内容に沿い、連絡を受け、その際に、私の立場を説明した。
平成30年11月8日、山口県知事 村岡嗣政殿 配下、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原忍 室次長を通じて、なされる 山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室による、その公文書 部分開示 決定内容に関しては、請求人に対して、人権侵害にあためという 旨も、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原忍 室次長に対し、その内容に関して 詳しく、説明をおこない、その審査請求をすると、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原忍 室次長には、具体的に、申し伝えている。
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平成31年2月14日、山口市の新年度の当初予算案が発表され、JR新山口駅周辺の整備事業などが盛り込まれた結果、一般会計の総額が901億円と過去最大の規模となりました。
平成31年2月13日、山口県 教育政策課 森脇敏雄指導主事と私は、山口市 文化財保護課、日本女子大 総務課との対応、成瀬仁蔵 没後 100年祭 開催にあたり、私に、あるため その対談し、成瀬仁蔵 没後 50年祭 山口市にて、 当時 開催をされているため、山口県教育委員会 関係者も 列席されていたという 山口市 成瀬仁蔵 没後 50年祭 当時の状況について、説明を入れ、その後、50年経過し、成瀬仁蔵 没後 100年祭に関する、山口県 教育政策課からの、その対応について、確認を入れ、私は、対談をおこなった。その後、その内容に関する報告のため、東京都 日本女子大学 成瀬記念館へ 連絡を入れた。
平成31年2月13日、山口県 山口市 文化財保護課 来年度、今年度 予算執行内容に関する 山口市 文化財保護課が その抱える問題に関して、山口市 文化財保護課 肱岡圭介 主事と私は、対談をおこなった。
平成30年11月8日、山口県知事 村岡嗣政殿 配下、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室、対応について、・・・
平成30年11月8日、山口県知事 村岡嗣政殿が、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原忍 室次長を通じて、される 公文書 部分開示 決定内容に関しては、請求人に対する、その基本的人権の侵害である 旨も、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原忍 室次長に対し、その内容に関して 詳しく、告げて、今後、私は、その審査請求をすると、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原忍 室次長に申し伝えた。
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渋沢栄一の子孫が講演
11月07日 22時48分、山口 NEWS WEB 配信より
明治改元から150年となったことを記念して幕末や明治期に活躍した実業家・渋沢栄一の子孫で投資などを行う会社の経営者が講演を行い、近代の日本経済の礎を築いたとされる経済人のビジネスに対する姿勢などを語りました。この催しは経済団体や萩市などの主催で開かれ、市内の熊谷家住宅にはおよそ100人が集まりました。会場では明治時代に活躍した実業家で国内初の銀行や、さまざまな企業の設立に関わった渋沢栄一のやしゃごで、投資や資産運用を行っている会社の渋澤健会長が講演しました。講演の中では渋沢栄一について当初、尊皇攘夷の思想を持っていたものの、海外の実情や手法を学びビジネスで成功したと紹介し、渋澤会長は「少子化が進む中でも将来に悲観せず、企業がこれまでとは違う意見や考え方に刺激を受け、新たなビジネスを模索することが大切だ」などと話しました。その上で「民間が国を豊かにするという渋沢栄一の考えは今の日本の企業にも応用できるメッセージだと思う」と話していました。参加した男性は「より広い視点で自分を見ることができるようになったと思う」などと話していました。