県議選 立候補説明会始まる |
県議選 立候補説明会始まる
02月18日 18時38分、山口 NEWS WEB
統一地方選挙の前半として、ことし4月に投票が行われる県議会議員選挙に向けて、18日から立候補予定者を対象にした説明会が始まりました。
県議会議員選挙の立候補予定者を対象にした説明会は、18日から県内各地で始まり、このうち周南市役所では周南市選挙区の説明会が開かれ、5人の定員に対し7つの陣営が出席しました。
説明会では、はじめに周南市選挙管理委員会の伊藤禎亮委員長が「立候補予定者は公職選挙法を理解し、明るく正しい選挙の推進に努めていただきたい」と呼びかけました。
このあと担当者が、立候補の届け出に必要な書類や手続きのほか、公職選挙法の改正で県議会議員選挙でも選挙運動用のビラの配布が可能になったことなどを説明していました。
説明会は、県内の15の選挙区の立候補予定者を対象に、今月22日まで開かれる予定です。
県議会議員選挙は来月29日に告示され、投票は一部の離島を除き4月7日に行われます。
私のコメント : 平成31年2月19日、山口県議会議員選挙は来月29日に告示され、投票は一部の離島を除き4月7日に行われます。公職選挙法の改正により、今回の山口県議会議員選挙から、その選挙運動用のビラの配布が可能になった。
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知事「検証し再発防止」
02月15日 21時36分、山口 NEWS WEB 配信より
生後2か月の女の子の頭に暴行を加えたとして母親が逮捕された事件で、児童相談所は女の子を保護していましたが、安部容疑者が子育ての意思を示すなどしたことから先月下旬に母親に戻していました。事件を受けて、村岡知事は15日に記者団の取材に応じ「大切な幼い命が失われることになり、本当に残念な思いでいっぱいだ」と述べました。児童相談所が安部容疑者の住民票がある柳井市から要請を受けて莉結愛ちゃんを返す判断をしたことについて問われると「一時保護を解除する前に子どもと会わせた時点ではあやしたり、かわいがったりする様子を見せていた。解除の決定は柳井市からの要請を踏まえ、決定した。社会福祉施設でも職員がサポートするということだったので、そうした判断はありうると思う」と児童相談所の対応に理解を示しました。そのうえで「今回の事案についてしっかりと検証を行ったうえで、どのようにすればこうしたことが起こらずに保護できるのか考えていきたい」と述べ、今後、社会福祉施設への聞き取りなどを行うほか、当時の児童相談所の対応について詳細に検証する考えを示しました。
私のコメント : 平成31年2月17日、山口県議会議員 山口県議会 文教警察委員会 星出拓也委員長のご母堂様と私は、対談した。
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徳高の2分校募集停止へ
2018年10月16日、© 2016 新周南新聞社 配信より
県教委・徳山北、鹿野分校・入学者減で
県教委は9日開かれた県議会の文教警察委員会(星出拓也委員長、8人)で定員の半数に満たない状態が続く周南市須々万奥の徳山高徳山北分校(21人)と鹿野下の同鹿野分校(19人)や、光市の光高などの定時制課程の生徒の募集を停止することを明らかにした。停止時期は今後決める。
これは県立高校再編整備計画の実施計画の素案に盛り込まれたもので、定時制課程の募集停止は光高を含む6校。近く県民に意見を聞くパブリックコメントを募集し、地元説明会も開く。
両分校の定員は各30人だが、入学者は来年度から10年の試算で徳山北は8~11人、鹿野は6~9人で、分校の募集停止検討基準の「定員の半数」を下回っている。
徳山北は1944年に都濃農林学校として開校し、48年に普通科と農業科の都濃高になった。鹿野は49年に都濃高鹿野校舎として開設。普通科だけで、生徒数の増加で76年に徳山北高、鹿野高に分離独立するまで1校2校舎の形態だった。
徳山北高は最も多い時で約670人、鹿野高は約400人いたが、鹿野が2008年度に、徳山北が12年度に閉校し、徳山高の分校になった。
現在、徳山北は1年生4人、2年生7人、3年生10人▽鹿野は1年生7人、2年生6人、3年生6人。地元中学校からの進学率は徳山北が4.3%、鹿野が13.6%。
委員会では地元の上岡康彦議員(公明)が「一度に両校の募集停止をせず、統合など段階的にできないのか」と問い、浅原司教育長は「さまざまなデータで素案を出した。きめ細かな教育は他の学校に引き継ぐ」と答えた。
委員会の翌日の10日には徳山北で藤山浩一郎副校長が、鹿野で須藤恒史校長が生徒に経過を説明した。
地元でも不安の声が漏れる。卒業生約6千人の徳山北高同窓会の田村勇一会長は「やむを得ない事情もわかるが、中心部の高校の定員を削ってでも分校に回し、維持存続はできないものか。地方創生に逆行し、中山間部の振興にマイナスになることが心配だ」と話す。鹿野分校の男子生徒も「少人数の楽しさもある。後輩がいなくなるのは寂しい」と残念がっている。
定時制課程の生徒募集停止は光のほか防府商工、山口、宇部工、小野田、厚狭が対象。山口市小郡のJR新山口駅近くに22年度までに新設する午前、午後、夜間の3部制の定時制高校に統合する計画だ。
【きょうの紙面】
⑵中央地区公民館の愛称「市民センターとくやま」に
⑶JR山陽本線「下松―柳井」間再開
⑶TK WORKSフェスタに2,000人
⑷ボーイスカウト光第2団40周年記念式典
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【写真】小学校最後の運動会で「大玉おくり」の競技に参加した悠仁さま
「進学先については、4年生、5年生くらいの頃から、少しずつ話し合って、長男自身の考えや希望などを聞くことがありました」「長男自身が自分の考えを深めることを大事にしてまいりました」
昨年11月22日、秋篠宮邸で行われた秋篠宮さまの53歳の誕生日を前にした会見で、悠仁さま(12)の進学について、そう紀子さま(52)は説明された。「中学校でどのようなことを学びたいか、どのような活動をしたいか」話し合い、進学先を考えてきたという。秋篠宮さまが会見で、「進学先については、そう遠くないうちに発表されることと思います」と言われたとおり、それから約2カ月後の2月4日、悠仁さまの進学先が発表された。幼稚園、小学校に続き、お茶の水女子大学附属中学校に通う。皇族が学習院以外の中学に通うことは、戦後初めてのことだ。
発表されるまでは、筑波大学附属中学校などさまざまな中学の名前が出て、臆測が飛び交ってきた。ある記者は「中学校に下見に来ていた」という話を、複数の学校の生徒の親から聞いたという。
ほんわかしたムード
お茶の水女子大学の附属校は、中学までは共学だが、高校から女子校になる。男子生徒は外部の高校を受験しなければならない。学校側は共学化の可能性を「大学の方針として、附属高等学校の共学化は考えていない」「10年20年先はどうなるかわからないが、しばらくは女子校で」とはっきりと否定している。
なぜ、複数の選択肢のなかでも、お茶大附属中だったのか。
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、「環境の変化を忌避したからでは」と言う。
「5月1日から秋篠宮殿下が皇位継承順位第1位の皇嗣となられることに伴い、ご一家のお世話をする組織がこれまでより格段に大きくなり、関わる人員も増え、環境が大きく変わります。悠仁親王殿下のご年齢で、学校の環境まで変わるのは負担が大きいのではと案じていましたから、正直ほっとしました」
会見の言葉にもあるとおり、「校風と子どもの個性を考えて決めたのでは」というのは、塾ソムリエとして知られる名門指導会代表の西村則康さんだ。
「お茶大附属中はほんわかとしたムードで、生徒さんには楽器のできる子も多く、どこか学習院と似ています。小学校では
『てつがく科』などの授業も採り入れ、客観的な認知力向上に力を入れている。穏やかで感受性の豊かなお子さんが多い印象です」
候補校として挙がることの多かった筑波大附属中は、お茶大附属中とは雰囲気がかなり違う。
とはいえお茶大附属中でも、内部生と中学から入学する外部生との学力差を体感する在校生は多いようだ。お茶大附属幼稚園から小学校に進み、現在5年生の女子児童の父親(45)は言う。
「中学にあがると、外部進学者との学力の差が大きくて戸惑う、という話は上級生の保護者から聞いています。内部進学者も少しずつ減っているようなので、中学受験も視野に入れ、娘は塾に通わせています」
この父親によると、女子の半数、男子のほとんどが小学校から塾に通っている印象だという。
一般の進学先として考えた場合、お茶大附属中は男子にとっていささか特殊だというのは、『受験と進学の新常識』などの著書がある、教育・育児ジャーナリストのおおたとしまささんだ。
「高校から女子校になるので、わざわざ中学受験をしてまで3年間だけ通おうとする男子は多くありません。偏差値も男女間で差があり、女子は66ですが、男子の偏差値は50(四谷大塚)程度です」
前出の西村さんも言う。
「高校受験に苦労する男子生徒は多い。もちろん、優秀で意識の高い生徒はいますが、最難関校である筑波大学附属駒場や筑波大附属に進学できるケースは稀です」
結果、お茶大附属中に対する保護者の評価は「二分されている」という。
「哲学的な幅広い教育を歓迎する保護者もいますが、実質的な受験指導をやってくれないと嘆く保護者もいます」(西村さん)
だが、大学受験まで見据えた場合、後々響いてくるのは、一見学力とは関係ないように見える精神性だという。
「伸びない子は『僕はこう思う』で止まる。伸びるのは、『こう考えている人がいるかも』と立場を変えて考えられる子です。学力を支える基盤としてお茶大の教育は効果的です」(同)
実際、お茶大附属小の校風は、悠仁さまに合っていたようだ。
冒頭の会見の折には、夏休みの社会の宿題で戦争について調べて広島行きを希望され、紀子さまと広島に行かれたことなどが説明された。秋篠宮さまは「自分の意見をはっきり言うようになった」「人の話にもきちんと耳を傾けるようになった」と語った。お互いのいいところを見つけて言葉にする「いいとこ見つけ」を学校で行い、家庭でも家族の「いいところ」を教えてくれたり、考えている時や困っている時には言葉をかけてくれたりもするという。
これまで、皇族は学習院に通うのが慣例だった。皇太子さまも秋篠宮さまも幼稚園から大学まで学習院に進んでいる。
秋篠宮さまは学習院大学で紀子さまと出会い、結婚された。初等科から学習院だった黒田慶樹さん(53)を妹の清子さん(49)に紹介したのも秋篠宮さまだ。
「学習院は『皇室』という特別な存在の人に壁を作らず、親しく感じる人を育む役割を果たしてきました。秋篠宮さまはそのことを実感されていたので、妹に同級生を紹介されたのだと思います」(矢部さん)
しかし、眞子さま(27)は学習院女子高等科を卒業後、ICU(国際基督教大学)に進学し、佳子さま(24)は学習院大学を退学して、ICUに入り直した。佳子さまはその理由を会見でこう語った。
「幼稚園から高校まで学習院に通っており、限られた一つの環境しか経験できていないと感じることが多くございました」
矢部さんは言う。
「同じクラスタだけではイヤ、ということの表明だったと思います。悠仁さまは将来の天皇として、非常に重いものを担われます。学校は教育の場であるだけでなく、人と出会い、人間をつくる場です。今回は選択から外れた学習院ですが、『クラスタ』の視点に立てば、3年後には学習院回帰も検討されるのではないでしょうか」
高校や大学はどこを選ぶのか。これから3年間、ご本人とご家族が熟慮のうえ、将来も考え、選択されることだろう。
「眞子さま、佳子さまもご参考に、ICUに進まれるのでは」「歴史もありOB・OGも多い学習院が環境として整っているのでは」という声もあるが、ある記者は「専門領域がカギになる」と考えている。
「もし、秋篠宮さまが学習院大学に満足していたら、眞子さまや佳子さまにも学習院を勧められていたのでは。そうではないということですから、専門性や国際性も視野に入れてお考えになるのではと思います」
皇室には、理系の研究者が多い。昭和天皇は海洋生物や植物を研究する生物学者であり、天皇陛下は魚類学者としても知られている。秋篠宮さま自身は学習院大学法学部政治学科を卒業後、オックスフォード大学に留学して魚類分類学を学び、現在は東京農業大学農学部バイオセラピー学科の客員教授、東京大学の特招研究員を務めている。
秋篠宮さまは佳子さまに対して、こうも述べられていた。
「公的私的は別にして、ライフワークになるようなものを持ってもらいたいなと思っています」
現在、悠仁さまは理科が得意だという。12歳の誕生日を迎えた昨年9月には、野菜作りや田んぼ作りにも熱心な様子が伝えられた。もしもやりたいことや興味を持たれた分野が理系の領域であるなら、その専攻につながる進路を選ぶ可能性も少なくない。(編集部・熊澤志保)