札幌市中央区役所に“爆破予告”電話 350人以上が一時避難 北海道 |
最終更新:6/5(水) 17:16 HBCニュース 配信より
5日午後、札幌の中央区役所で爆破予告の電話があり、区役所にいた市民など350人以上が一時避難しました。5日午後1時半ごろ、札幌市中央区役所の代表電話に、年配とみられる男の声で「区役所に爆弾を仕掛けた」と犯行を予告する電話がありました。当時、区役所の中にいた市民や職員ら350人以上が近くの中央区民センターに避難しました。通報を受けて駆け付けた警察が建物の中を調べましたが、爆発物や不審物などは見つからず、区役所は午後3時半ごろに業務を再開しました。警察は業務妨害の可能性もあるとみて調べています。
北海道放送(株)
最終更新:6/5(水) 17:16 HBCニュース
私のコメント : 令和元年6月6日、東京都 霞が関 文部科学省 文部政務官室 秘書と 私は連絡対応を持った。
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霧島連山活発化の被害 連携して国に対策要望へ
5/16(水) 19:31 MBC南日本放送 配信より
霧島市など霧島連山周辺の自治体による環霧島会議が16日、宮崎県で開かれました。会議では、火山活動による観光や農林水産業の被害について、国に対策を要望していくことを決めました。環霧島会議は、霧島市や湧水町、宮崎県えびの市など、霧島連山周辺の5市2町で構成され、防災や観光などに連携して取り組んでいます。16日、えびの市で開かれた会議では、新燃岳や硫黄山の火山活動が活発化していることを受け、自然災害に対して連携をさらに強化する「環霧島決議案」が全会一致で承認されました。具体的には、降灰などによる観光への影響のほか、川内川の水質悪化による水稲栽培中止などで農林水産業に深刻な被害が出ているとし、今後、連携して国などに長期的な支援や河川の水質改善対策などを要望していく方針です。また、会議では鹿児島地方気象台の担当者が、おととい14日に、38日ぶりに噴火した新燃岳の活動状況について「火口直下を震源とする火山性地震は多い状態が続いていて、今後も噴火が発生する可能性がある」と説明しました。
MBC南日本放送 | 鹿児島
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私のコメント : 平成30年5月16日、文部科学大臣 政務官 宮川典子代議士 政策秘書 寺西弘之氏と対談し、その後、文化庁 文化財 参事官次 建造物課 濱田 職員 と、以下の経緯もあり、対談をした。
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皇后さま 日本赤十字社の全国大会に出席
5月16日 15時28分
日本赤十字社の全国大会が、皇后さまをはじめ女性の皇族方も出席されて、16日、東京で開かれました。来年4月の天皇陛下の退位を前に、皇后さまの大会への出席は最後になるものと見られます。
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東京 渋谷区で開かれたことしの大会には、日本赤十字社の名誉総裁を務める皇后さまをはじめ、名誉副総裁で平成15年以来15年ぶりの出席となった皇太子妃の雅子さまなど、女性の皇族方も出席されました。
大会では、2000人近い関係者を前に、皇后さまから赤十字の活動に功績のあった個人や団体の代表に表彰状などが手渡されました。
続いて世界の紛争地域などで活動を続けてきた愛知県の看護師らが活動報告を行いました。看護師が、病院まで攻撃の対象になり、医療従事者も犠牲になっている紛争地域での活動の様子を話すと、皇后さまもじっと耳を傾けられていました。
皇后さまは、結婚した昭和34年に日本赤十字社の名誉副総裁に就任してからおよそ60年にわたって赤十字の活動を支えられてきました。天皇陛下の即位後には名誉総裁に就任し、それ以降に開かれた全国大会にはすべて出席されてきましたが、来年4月の天皇陛下の退位を前に、今回が最後の出席になるものと見られます。
皇后さまは会場をあとにする際、活動報告を行った看護師に「長年にわたっての活動ありがとう。赤十字の基本原則の『人道』を、実践に移してくださっている皆さんに感謝しています」と話されたということです。
皇后さまと赤十字活動 「心のケア」本格化の後押しも
国内外での人道支援や医療活動などを行っている日本赤十字社の活動への支援は、明治以降、歴代の皇后をはじめ皇室で受け継がれてきました。
皇后さまは昭和34年4月、結婚して10日後に名誉副総裁に就任し、皇太子さまを出産して3か月後の昭和35年5月には東京で開かれた日本赤十字社の大会に初めて臨まれました。
その後も全国各地で行われる日本赤十字社の大会や行事に出席し、子どもの福祉施設や病院への訪問を重ねられました。
また被災地や福祉施設で過ごす子どもたちの服などを縫うボランティア活動にも、公務や育児の合間を縫って毎週のように参加されました。
昭和39年に開かれた東京パラリンピックでは、海外の選手をサポートする「通訳奉仕団」の結成を後押しし、結成式でお言葉を述べられています。
皇后さまは当時の活動について、平成13年の誕生日を前に、「20代の若い日に赤十字活動に触れたことは、私をその後、福祉に関する多くの人々との出会いに導いてくれたように思います」と文書で振り返られています。
皇后さまは天皇陛下の即位後に名誉総裁に就任し、その後も社会で弱い立場にある人たちや医療や福祉の現場で働く人たちに心を寄せ続けられています。
平成7年の阪神・淡路大震災のあとには、当時今ほど注目されていなかった「心のケア」について、日本赤十字社の関係者に「何かできることはないか」と質問されたということです。
日本赤十字社は皇后さまからのこの言葉にも後押しされ、その後「心のケア」にも重点を置いた被災地での救援活動を本格化させたということです。