保育園の登園自粛、協力したいけど 仕事と両立は無理筋 |
保育園の登園自粛、協力したいけど 仕事と両立は無理筋
朝日新聞社 2021/01/16 15:04、配信より
朝日新聞社 小さい子どもをみながらの在宅勤務に悩みを抱える人も多い
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う2回目の緊急事態宣言が出されるなか、一部の自治体が保育園の登園自粛を呼びかけはじめ、保護者に不安が広がっている。3密を避けにくい保育現場に協力したい気持ちはあるものの、在宅ワークで「仕事も育児も」を、実現するのは簡単ではないからだ。昨春の宣言時の「トラウマ」もあり、「長引けば限界」など悲痛な声も上がる。
「またあの日々が戻ってくるのか……」
東京都世田谷区に住む30代の女性は、首都圏に緊急事態宣言が出された翌日の1月8日、区から出された「可能な範囲の登園の自粛」を呼びかける文書を見て、ため息をついた。
来週から、週に数日あるテレワークの日、保育園に通う2人の子どもの登園を自粛することに決めた。夫も会社員だが、出勤が必要で育児を分担することは難しい。その状況で、頭の中に浮かぶのは昨春の緊急事態宣言時の記憶だ。
当時も登園自粛要請があり、4月から数カ月間、自宅で仕事をしながら子どもと過ごした。だが、リビングでパソコンを広げればキーボードをいたずらされ、電話をするときも騒がしくて相手の声が聞き取れない状況。子どもが起きている間は仕事が進まず、深夜や早朝に穴埋めをする毎日だった。
「子どもも家で我慢ばかりでストレスがたまり、私も体力的に限界だった。もう一度あの生活になるのではと考えるとあまりにつらい」
区によると、年末から職員や園児に感染が広がり始めており、2月7日までの予定で、登園率を6~8割にしたいという。「たとえ在宅勤務であっても、保育が必要な場合には預けることを否定しない」とするが、女性は「区から要請が出たことで、保護者の間で、互いに預けることを監視するような風潮になりかねない。期間が延びたり、要請が強くなったりすることもあり得るのでは」と不安に思っている。
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オランダ内閣総辞職、児童手当の不正受給問題
1/15(金) 22:29 AFPBB News配信より
【AFP=時事】(更新、写真追加)オランダのマルク・ルッテ(Mark Rutte)内閣が15日、児童手当の不正受給問題をめぐり総辞職した。
多数の親が児童手当を不正受給したと当局から不当な疑いをかけられて多額の返済を求められ、経済的に困難な状況に陥ったとされる。
【写真】自転車に乗る首相を追う報道陣、赤じゅうたんが敷かれる宮殿など
ルッテ首相はハーグで記者会見を開き、自身の内閣の総辞職を発表。
「法規は大きな権力を持つ政府から市民を守らなければならないのに、今回は極めて悪い方へ進んだ」と認めるとともに、ウィレム・アレクサンダー国王(King Willem-Alexander)に内閣の辞表を提出したことを明らかにした。
オランダでも新型コロナウイルスの感染拡大が続いており、2か月後には選挙を控える中での内閣総辞職となった。
ルッテ首相は、現政権が3月17日に予定されている選挙まで暫定内閣としてとどまると明かし、「国益を守るために必要なことを行っていく」と述べた。
【翻訳編集】 AFPBB News
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最終更新:1/16(土) 15:19 AFP=時事
私のコメント : 令和3年1月16日、オランダのマルク・ルッテ(Mark Rutte)内閣が1月15日、児童手当の不正受給問題をめぐり総辞職した。今までの経緯にいたり、ベネルクスと日蘭文化交流、日独文化交流、及び、ベネルクスと日蘭外交、日独外交に関しても、外務省いわゆる密約書不在の問題に関係して、今までの その内容へと関係し、内外の外交官、政治家、学者、文化人、芸術家、芸能人、宗教家 等 に対面・対談し、私が、今迄に、その最善の努力を尽くしているという経緯に関して、できるだけ、わかりやすく、私のブログにて、その説明を入れている。


画家の安野光雅さん死去 「ふしぎなえ」「旅の絵本」
2021年1月16日 13時10分、朝日新聞デジタル 配信より
遊び心にあふれる絵本や淡い色調の風景画で知られる画家の安野光雅(あんの・みつまさ)さんが、昨年12月24日、肝硬変のため死去した。94歳だった。葬儀は家族で営んだ。
1926年、島根県津和野町の宿屋に生まれた。画家になることを夢見ていたが、復員後に山口で代用教員に。50年の上京後も、教員生活を続けながら絵を描いた。
絵に専念するようになっていた68年、教え子の縁で最初の絵本「ふしぎなえ」を発表。エッシャーのだまし絵や心理学の図案に影響を受けて描いたトリック絵本は評判となり、74年にはアルファベットの文字の形が不思議な図を描く「ABCの本」を出版した。芸術選奨文部大臣新人賞やブルックリン美術館賞など内外の賞を多数受け、84年には絵本画家としての全業績に国際アンデルセン賞画家賞を贈られた。2008年に菊池寛賞、12年には文化功労者に選ばれた。
ペンと水彩でヨーロッパやアメリカ、中国、日本など世界各地の風景を描き、77年から「旅の絵本」シリーズを計9冊出版。91年からは故司馬遼太郎さんが週刊朝日に連載していた「街道をゆく」の挿絵を担当。司馬さんが亡くなる96年まで続けた。同誌では、07年から08年に「繪本 三国志夜話」を連載した。
上皇后美智子さまとも親交があり、皇居の草花を描いたことでも知られる。このほか、膨大な数の装丁、絵本を手がけ、エッセーの名手としても知られた。
01年には、故郷に作品や資料を集めた津和野町立「安野光雅美術館」が開館し、17年には京都府京丹後市に「森の中の家 安野光雅館」がオープンした。










































































