赤十字月間のぼり設置 |
ドイツ兵捕虜ゆかりの鳴門・櫛木に赤十字月間のぼり設置
同月間は赤十字の設立者アンリー・デュナンの誕生日(5月8日)や、日本赤十字社の前身「博愛社」の設立日(5月1日)にちなみ、その理念や活動の啓発を目的に定められた。
櫛木地区には、収容所のドイツ兵捕虜が海水浴などに訪れ、住民たちと交流を深めた歴史が残る。赤十字の理念に通じるものがあるとして、北灘地区自治振興会や櫛木ボランティア会の住民有志が毎年のぼりを掲げている。
1日は住民7人が、櫛木地区の国道11号沿いにのぼり30本を設置。メンバーの一人は「のぼりが、コロナ禍の最前線で懸命に従事する医療関係者へのエールにもなれば」と話した。(吉田博行)
私のコメント : 令和3年5月4日、5月1日からの「赤十字運動月間」は赤十字の設立者アンリー・デュナンの誕生日(5月8日)や、日本赤十字社の前身「博愛社」の設立日(5月1日)にちなみ、その理念や活動の啓発を目的に定められた。
令和3年5月4日、5月1日からの「赤十字運動月間」における、そのコロナウイルス感染症対策のいっかんとして、オリンピック聖火リレーにおける 島根県と山口県との対欧も私には、あり、中國新聞社 防長本社 編集部に行き、東聡海記者と面談する。広島市立舟入高女の碑に関しても、そのおり、下記の配信後の経過があり、中國新聞社 防長本社 編集部東聡海記者のもとへ、山口市長、山口市議会議長、山口市議会事務局、山口市教育委員会 教育長、山口市教育総務課、山口市文化財保護課 等との間における、その私との一連 対応経緯について、公文書、並び、私が作成した説明の書面をもとに、説明を入れ、中國新聞社 防長本社 編集部 東聡海記者 ( 広島県 広島市立舟入高等学校 卒業生 OG )に、理解を求めていった。
また、中國新聞社 防長本社 編集部にて、島根県 隠岐郡 海士町 隠岐國海士町・後鳥羽院顕彰事業実行委員会「後鳥羽院遷幸八百年」祭 における、ポスターを私から、中國新聞社 防長本社 編集部 東聡海記者へ、手渡した。
その際、2月26日に、島根県 松江市 島根県庁内において、島根県知事と私との面会時に、私の大叔父が、佐藤栄作首相の主席私設 秘書官を命じられていた 佐藤栄作首相政権下における 当時の日韓条約締結時から、当該 竹島領土問題へ 関係していく、文部科学省からの一連における、その各対応もあり、文部副大臣 高橋ひなこ 秘書官から、下記の記載どおり、その対応も受けているため、私は、その概略説明を中國新聞社 防長本社 編集部 東聡海記者のもとへ、行った。
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今までの私のボランティア活動歴についての話しをします。
山口市小郡文化資料館に、故河内山賢祐の作品と遺品が展示してあります。遺作、遺品の管理について、私の祖父が、河内山賢祐と近い親類であったこともあり、遺族の立場を代表する意味でも芸術文化財ボランティアの立場でも、旧小郡町時代よりその作品等について、散逸しないように細かく注文をつけ私は、今日まで至っています。私が、当時、小学校の修学旅行に広島に行くという折に、その当時存命であった私の祖父と祖母が、「広島の平和記念公園に、河内山の叔父さんの原爆慰霊碑の彫刻があるから、見てきなさい。」と言われたことを覚えています。しかし、私の小学校修学旅行は、集団行動で、勝手に個人行動で広島の平和記念公園を見て回ることが、出来ずに、その時は、どこにその碑があるのか、わからずじまいでした。33年の歳月が、流れ、ようやく河内山賢祐と湯川秀樹との二人の構想による「広島市立舟入高女の原爆慰霊碑」が、広島市中区の区役所を訪問し、その場所を教えてもらい中区の中を流れている川沿いに確認することができました。風雪に耐え、乙女のレリーフは胸を強く打つ作品でした。広島市立舟入高女の碑の原版は、山口市小郡文化資料館に残されています。大叔父の河内山賢祐と湯川秀樹博士は、どのような考えで、このすばらしい作品を残そうとしたのかは、今となっては、二人とも故人となっているので、聞くよしもありません。先人の平和に対する想いを若い世代に語り継ぐことが必要です。司法のボランティアを議論することすら 機会もなく、又、司法現場の弁護士や判事さんにおかれても、様々なボランティア活動について理解と参加等の配慮をお願いしたいと感じることがあります。今後とも皆様にご協力をお願い申し上げます。









































