参院補選あす告示・三つどもえの選挙戦へ(山口県) |
参院補選あす告示・三つどもえの選挙戦へ(山口県)
10/6(水) 19:42配信 tysテレビ山口 配信より
岸田内閣発足後初の国政選挙となる参議院山口選挙区の補欠選挙が、あす、告示されます。
衆院選の前哨戦としても注目を集める中、三つどもえの選挙戦となる公算が大きくなっています。
参院山口補選に立候補を表明しているのは、「自民党」公認で全国比例選出の参議院議員・北村経夫さん(66)と、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」公認の元YouTuber、「へずまりゅう」・原田将大さん(30)、「共産党」公認で党県委員会副委員長の、河合喜代さん(61)の3人です。
北村経夫さん「次の衆議院総選挙に弾みがつくように、圧勝できるようにそしてご期待に沿えますように力いっぱい戦い抜いてまいります」
北村さんは、田布施町出身の66歳です。産経新聞社の政治部長などを経て、2013年に初当選しました。おとといには、岸田・自民党総裁から公認証を受け取りました。
経験や組織力を生かして戦い、人口の減少などの問題に取り組むとしています。
「へずまりゅう」原田将大さん「山口県民に謝るって意味で選挙カーで全部の市を回れば、それでみんな知ってくれるんじゃないかな、謝ってる意思があるんじゃないかなと思ってくれると思って出馬しました」原田さんは、防府市出身の30歳です。
スーパーなどでの勤務を経て、YouTuberとして活動していました。
選挙活動を通じて、去年7月に新型コロナに感染したまま県内を訪れたことを謝罪したいとしています。
SNSで若い人の声を聞き、政治に生かしたいと考えています。
河合喜代さん「やっぱり政治を変えたいという多くの皆さんの願いを、しっかり受け止める選挙にしたい。政権交代を実現する選挙です」
河合さんは、下関市出身の61歳です。
統一候補としての出馬は野党の中でまとまらず、各党に支援を呼びかけています。
山口市議を4期、県議を1期務めてきました。これまでの経験を生かして、医療・福祉の充実や格差の是正などに力を入れたいとしています。
今のところほかに立候補の動きはなく、三つどもえの選挙戦となる公算が大きくなっています。
今回の補選は、岸田内閣発足後、初めての国政選挙です。
今月31日には衆院選の投開票が控えていて、前哨戦としても注目を集めています。
参院山口補選はあす告示、24日投開票の日程で行われます。有権者数は、きょう現在で114万4336人です。
最終更新:10/6(水) 19:42 tysテレビ山口
私のコメント : 令和3年10月6日、山口県 山口市 山口県庁に行き、コロナウイルス感染症対策のいっかんとしての 外務省 密約書 問題、旧日本海軍 広島県江田島市 海軍兵学校 井上成美校長が、兵科・機関科の統合を推進した問題、その後の 広島県 広島市 黒い雨訴訟後における 諸問題・課題、島根県 後鳥羽院遷幸八百年祭、全国の日蓮聖人降誕八百年祭、日蓮大聖人御降誕800年慶讃報恩記念事業、及び、今迄、島根県 松江市 島根県庁にて、丸山達也 島根県知事と私が面談している 内容・事柄 等の対応 私にあり 山口県総合企画部 市町課 兼清未知留副課長と私は、面談した。
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令和3年10月6日、山口県 山口市 山口県総合企画部 市町課 兼清未知留副課長と私は、対談した。
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令和3年10月5日、石炭火力発電技術の輸出政策は、様々な要因が重なっているため、これからも、慎重に対応し、その経過をわかりやすく、内外の関係者からも 意見を聞きいれて、エネルギー問題、並び、火力発電に関係する技術者、労働従事者 皆様 等が、その内容に、納得されていくよう、また、政治家の立場から、事柄 包含されている内容に関し、丁寧に、わかりやすく、慎重、明晰に、その過程に関しても、説明されていくという謙虚な姿勢、日本の政治家には、今後も、求められている と感じている。
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令和3年10月4日、コロナウイルス感染症対策のいっかんとしての 外務省 密約書 問題、旧日本海軍 広島県江田島市 海軍兵学校 井上成美校長が、兵科・機関科の統合を推進した問題、その後の 広島県 広島市 黒い雨訴訟後における 諸問題・課題、島根県 後鳥羽院遷幸八百年祭、全国の日蓮聖人降誕八百年祭、日蓮大聖人御降誕800年慶讃報恩記念事業、及び、今迄、島根県 松江市 島根県庁にて、丸山達也 島根県知事と私が面談している 内容・事柄 等の対応 私にあり、山口県 山口市 山口県庁に行き、山口県 総合企画部 広報広聴課 県民相談室 神田直子主査 同席のもと、山口県 観光スポーツ文化部 国際課 高松薫副課長と私は、面談する。
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その後、山口県 山口市 山口県庁においては 山口県 総務部 学事文書課 情報公開・文書班 石井由佳主査とも、面談し、岸田文雄首相の妻裕子さんは、英語が堪能で、岸田文雄外相時代は、その外遊に同行し、平成28年(2016年) 4月、広島市 先進7カ国(G7)外相会合で「夫人外交」の経験もあるという記事内容も踏まえて、私が作成している 山口県 観光スポーツ文化部 国際課 宛ての開示請求書をもとに、私の主張 山口県に、申し上げ、山口県から 私に対する、その支援を求めた。
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私のコメント : 令和2年12月27日、外務省 いわゆる密約書不在の問題に関係し、慶應義塾大学 商学部 西川俊作ゼミナール 広島県 広島市内にて、現在、その在勤中の慶應義塾大学 商学部 西川俊作ゼミナール 同級生のもとへ連絡を入れ、外務省 いわゆる密約書不在の問題に関係し、慶應義塾大学 商学部 西川俊作ゼミナール 同級生と対談し、広島県は25日、来年1月3日までとしてきた新型コロナウイルスの集中対策期間を、2週間先の同17日まで延ばしたための、山口県と島根県、広島県等にも またがり、当該 韓国、欧州、英国、蘭国、白国、仏国、独国、米国、露国 等との通商、厚生、国際金融における学術面における対談、並び、「公的な面と私的な面にわたり」、その文化交流を努めた。
令和2年12月27日、以上における、その内容も受け、外務省 いわゆる密約書 不在の問題に関係し、関東地方においても、医療従事の経験がある医療関係者と私は、「公的な面と私的な面にわたり」対談をおこなった。
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吉川経幹の生涯企画展、史料や国宝並ぶ…岩国
2018年10月10日、読売新聞 配信より
幕末の岩国藩主・吉川 経幹 ( つねまさ ) (1829~67年)の生涯を史料で紹介する企画展が、山口県岩国市横山の吉川史料館で開かれている。12月24日まで。第2次長州征討から明治維新までの関連史料45点を展示。
征討前に経幹が岩国領内に布告した軍令状や、勝海舟が休戦協定に向けて岩国藩士へ送った書状などが並ぶ。薩長同盟の締結後、帰郷した桂小五郎と会談した岩国藩士の山田右門による覚書には、桂が「幕府との戦いになれば薩摩藩が約束を実行する。極秘だが岩国様(経幹)には隠さず伝える」と語ったことが記されている。
11月30日までは吉川家の家宝として受け継がれてきた国宝「狐ヶ崎の太刀」(鎌倉時代初期)も展示している。水曜休館。入館料は大人500円、高校・大学生300円、小中学生200円。問い合わせは同館(0827・41・1010)へ。
2018年10月10日 Copyright コピーライト The Yomiuri Shimbun
私のコメント : 平成30年12月23日、島根県 津和野町 文化財保護課 等 との連絡対応 経緯もあり、山口県 岩国市 吉川史料館 原田学芸員との間にて、私は、対談し、その調整を行った。
平成30年12月23日、山口県 山口市 ルノー 山口 兼本様、並び、佐古山様との連絡 対応を私は、持つ。
平成30年5月9日、島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護課 職員との間にて、下記の内容に対応する件もあり、私は、その連絡対応も持った。
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「津和野藩主 亀井家の400年」 3館連携特別展 図録、 公益財団法人 亀井温故館、太鼓谷稲荷神社宝物館、津和野町郷土館
平成30年3月23日、山口県 山口市役所にて 私と山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された 山口市 収納課 櫨元香恵 職員との間では、今までに、下記の対応があり、よって、「津和野藩主 亀井家の400年」 3館連携特別展 図録 を示しながら、私と島根県 津和野町、並び、津和野町教育委員会との関係に関し、山口市 収納課 櫨元香恵 職員へ、その説明を入れた。
平成29年10月30日、山口県 中山間地域づくり推進課 田辺賢清 主任主事と対談したおりに、以下の経緯対応もあることも話した。
山口県では、平成20年10月16日、自然保護団体「長島の自然を守る会」などの団体が、原発予定地の埋め立て許可を出さないよう求めた署名計約8万筆を山口県知事に提出、10月20日には山口地裁に対し漁業者が県に埋め立て免許を出さないよう求める提訴を行ったが、その直後10月22日、当時の山口県知事二井関成氏が、中電に対し用地を造成するための公有水面埋立免許を交付され、建設に向け、動き出した。
平成28年4月5日 表千家 同門会 全国大会 萩市 国重要文化財 民家 熊谷家住宅 茶室 茶会ヘ 岸信夫代議士 来席、花燃ゆ、・・・
山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 から ・・・・
平成29年10月18日、山口県 中山間地域づくり推進課 との間にて、私は、10月17日に、山口県 山口市役所、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任された山口市 収納課 櫨元香恵 職員と 以下に関係し対談もおこない、山口市役所 収納課 櫨元香恵 職員からの、その内容に関する、私への意見があった件に関し、故 山本繁太郎前山口県知事と私との対応と対談の各内容もあるために、山口県 中山間地域づくり推進課 田辺賢清 主任主事へ、その説明を入れた。
平成29年10月17日、山口県 山口市役所にて、山口市 総務部 情報管理課 統計調査 担当 主査も歴任 山口市 収納課 櫨元香恵 職員と 以下の内容に関し、対談も おこない、島根県 津和野町日本遺産推進協議会、亀井氏入城400年記念事業実行委員会 発行の「津和野藩主亀井家入城四百年 記念事業のご案内」パンフレットをもとに、山口市 櫨元香恵 職員へ、その内容に関し、説明もし、島根県 津和野町教育委員会 教育長から 私宛 公文書開示決定通知書 「平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について」、私には、その意見具申について、文化庁との対応がある旨も、具体的に、山口市役所 収納課にて、山口市 収納課 櫨元香恵 職員へ説明を入れ、山口市役所 櫨元香恵 職員からは、それに対し、意見があった。山口市役所 今までの私への対応 経緯と経過もたどり、文化庁、宮内庁 等における各機関からの対応 当該 山口市へ、発生していく旨、山口市 収納課 櫨元香恵 職員に対し、過去、萩市長 8代:菊屋嘉十郎、 9代:林秀宣、 10代:小池春光、11代:野村興児 各市長における、市役所 行政の話題も交え、説明をおこなった。
平成29年10月16日、島根県 原子力発電所 設置へといたる経緯に関して、島根県 亀井亜紀子 代議士と面談し、整理のため、私は、中国電力株式会社 担当者の許へ連絡を入れて、調整もしている。
湛山回想 (岩波文庫)
高松宮日記 (中央公論社)
海軍兵学校 第73期 会報 ( 日独製造権および原材料供給協定、日独会計基準 )
尾山貢( 日独 潜水艦、 Uboat、金塊、横須賀基地、高松宮邸、朝鮮国殿下、プラザ合意、F2後継機、国際共同開発、国際会計基準 )
森田百合子
宇部市長 久保田后子
山口市小郡文化資料館 佐々木
1989年に「平成」を選定した際は、(1)政府が委嘱した漢籍などの複数の専門家からそれぞれ事前に(中略)(5)閣議で最終決定--という手順を踏んだ。
2009年、農地法改正で、相続により農地を取得した際は農業委員会へ届け出る仕組みがある。
『日本古文書学』 雄山閣 伊木寿一 著 1930年
『古文書学』 慶應通信 1949年
「 周布公平関係文書 」(尚友ブックレット) 芙蓉書房出版
「 慶應義塾入社帳 第四索引 」 慶應義塾塾監局 塾史資料室
「 吉川重吉自叙伝 」(尚友ブックレット) 芙蓉書房出版
....................................................................
平成29年10月24日、山口県教育庁 社会教育・文化財課 伊原慎太郎主査と私は、以下の内容について、山口県教育庁内にて、対談した。
平成29年度津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について
平成29年10月6日
岩国市 公益財団法人 吉川報效会 吉川史料館 学芸員 原田史子様
( 送信人 省略 )
件名 : 島根県 津和野町教育委員会 世良清美教育長より公文書開示決定通知書 「平成29年度津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について」平成29年9月20日に、開示していただき、別紙における内容の対応もあり、公益財団法人吉川報效会吉川史料館学芸員原田史子様へ連絡いたします件
いつもお世話になります。先般、吉川史料館学芸員原田史子様に面会をしましたおりに、私からの当該「津和野ものがたり1.津和野藩」、吉川史料館学芸員原田史子様へ贈呈いたしました。その後、読んでいただけましたでしょうか。
さて、島根県 津和野町教育委員会世良清美教育長より公文書開示決定通知書、「 平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について 」亀井家16代亀井玆基様による「藩主亀井家入城400年」挨拶文1枚も添え、島根県 津和野町教育委員会「平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について」の内容に関し、その後、平成29年9月25日、亀井家旧菩提寺 津和野町本性寺御住職様 宛へ私は、面会と対談もし、また、山口県総合企画部中山間地域づくり推進課地域づくり班 主事にも、私からの連絡文との関係も出てきています。よって、公益財団法人吉川報效会 吉川史料館学芸員原田史子からの、「 平成29年度 津和野藩主亀井家墓所の国史跡指定の意見具申について 」開示後における、そのお聴き取り、ご対応の程も、私の許へ、よろしくお願いを申し上げます。
平成29年9年9月21日、山口県岩国市吉川史料館原田史子学芸員様へ連絡対応を取らせていただきました内容に関して、
私からのお尋ねを申し上げた「岩国市岩国藩主吉川家墓所史跡」は以下の内容となっています。
「 岩国市 岩国藩主吉川家墓所 史跡 昭和63年3月29日(山口県教育委員会告示第二号) 由来及び沿革
吉川家墓所は、岩国に入府した吉川家17代家(岩国吉川家初代)から28代経幹(岩国吉川家12代)までの、当主及びその一族の墓所である。
吉川氏は、藤原南家の支流入江氏の出で、駿河国入江荘吉河邑(静岡県清水市)を本質とする東国武士である。13世紀の 4代経光の時代に、承久の乱の勲功として安芸国山県郡大朝本庄(広島県大朝町)の地頭職を与えられ、正和2年(1313年)5代経高の時代に大朝本庄に移った。
16世紀の吉川氏は、播磨国や石見国の一部にも勢力を張る戦国大名に発展したが、東の尼子氏と西の大内氏・毛利氏の対立の中で、天文16年(1547)毛利元就の次男元春を養子に迎え、毛利一門となった。以後、吉川氏は、元就の三男隆景が家督を継いだ小早川氏とともに、毛利氏を補佐し毛利氏が戦国大名として発展することに尽力した。
岩国吉川家の始祖となる広家は、この元春の三男で、兄元長の病死により、天正19年(1591)、安芸国旧館、伯耆国3郡、出雲国3郡、隠岐国14万石の家督を継いだ。
その後、慶長5年(1600)、関ケ原の戦いで、毛利氏は西軍の主将として徳川氏と戦い敗れたが、毛利の一軍として参戦した吉川広家は、内々徳川方と通じ、戦後毛利家の存続に努めた。そのため、毛利氏は、敗軍の将であるにもかかわらず周防・長門の二ヵ国を受領したが、吉川広家はその功績により毛利氏の領国の内、玖珂郡・大島郡の内3万石(のち6万石)を拝領した。
慶長6年(1601)、岩国に入府した広家は、横山山頂に岩国城を築き、城下町を建設し、知行地を検分して藩制を整備した。その後、岩国吉川氏は、広正・広嘉・広紀・広遶・経永・経倫(徳山藩主毛利広豊の末子)・経忠・経賢・経札・経章・経幹・経健と続き、13代、270余年にわたって在封した。
明治元年(1868)、朝廷は、毛利氏の末家として、経幹(慶応3年に死去)を諸侯に列し、城主格を与えた。岩国藩が成立するのはこの時からで、この間2代広正以降、幕府からは、正式には、諸侯に列せられなかった。しかし、江戸には邸宅を与えられ、四季折々の献上と家を継いだのち登営し将軍に謁見することを許されており、また、幕府から諸侯に課する諸普請や諸課役も諸大名並みに賦課されていたので、実体は諸侯に準じる扱いを受けていたと考えることができる。
墓所が形成されるのは、寛永2年(1625)広家が没した年からで、洞泉寺裏山に広家の墓所が営まれる(資料1図中NO.4)。つづいて、寛永18年(1641)広家後室光寿院が没して、その供養のため新豊院(浄土宗、のち光寿院、実相院と改称)が再興され、その境内に墓所が営まれた。場所は、広家墓所の北に続く同じ山腹である(昭和20年山崩れで崩壊)。2代広正の室高玄院は、広正に先立ち正保元年(1644)に没しているが、その墓所もこの新豊院境内に営まれた。
吉川家墓所の中心を占める地区、寺谷口御塔場(資料1図中NO.1)は、2代広正が没した翌年、寛文7年から造営が始まった。この経緯については「好問随筆」(岩国徴古館)に詳しい。
墓所造営は、広正が没した寛文6年の秋に3代広嘉より沙汰があり、翌年正月家臣戸川理佐衛門が大坂へ登り石工を調達し、石材は大畠石神で採取している。墓所造営は、長崎より招請した独立禅師(明の書家、医家)に采配させ、同年2月7日より普請を始めている。墓所造営予定地は、家臣の屋敷地だったため、2月27日に竹下長佐衛門ら、3名の家臣に屋敷を明け渡させ同日これを解いている。造営は5月3日に成就したが、この間光寿院(新豊院を改称)の高玄院墓所を解き(後実相院と改称後、跡地には6代経永の墓所が営まれた)、洞泉寺(禅宗)に葬られた広正とともに中心部に石塔を建て納骨を行った。両石塔の刻銘(戒名)は、独立揮毫である。
また、3代広嘉(玄真院)の墓は、広正室の高玄院の墓石の横に、延宝7年(1679)に造営された。記録(岩国藩御用所日記)によると、11月5日に造営成就したが、石塔建立には約350~360人の人夫が当たり、御塔場建設が、大工事だったことが知られる。また、玄真院墓石の刻銘(戒名)は学僧竹渓昌筰の揮毫である。
現在の墓所の景観は、寛文7年のこの墓所造営以降順次形成されていったもので、広正・広嘉以降の代々の墓所は、この墓所の前面及び背面に広がっていった。初代広家の墓所が営まれた山腹には、12代経幹夫婦の墓所及び代々の藩主の子女、側室(妾)の墓も営まれている。
構造及び形式
今回指定申請がなされた地域は、寺谷御塔場と称する地区及びその裏山で、面積9,615㎡(実測)を測る。
墓所は、木立と土塀にに囲まれ、霊域として盛厳な雰囲気を保っている。
墓所の構造は、明治時代のはじめに描かれたと見られる「御塔場図」(岩国徴古館)で確認することができる。まず、御塔場の正門を入ると遥拝所と倉が置かれている(現在は撤去)。遥拝所跡地の南には現在寛政6年銘を持つ鳥居があるが、この図には示されていない。後日移したものと思われる。鳥居をくぐると、正面には土塀で区画された墓所が広がるが、正面は8代経忠夫妻の墓所であり、そこから西奥に代々の墓所が造られている。また、遥拝所跡地の西奥は広い平坦地となっている(指定対象外)が、「御塔場図」には「元横道屋敷」及び「元清泰院」という記載がある。このうち清泰院は、3代広嘉室の天長院が元禄年間に建立した法華宗の寺院で、明治3年に廃寺となっている。この広い平坦地には現在円筒形の納骨堂がある。これは昭和39年に建立されたもので、初代広家をはじめ代々の当主及びその一族の御霊が納められ、また、吉川家の墓所として使用されている。
指定申請地内には、岩国吉川家初代広家から12代経幹までの11公(6代経永を除く)とその室や子女の墓51基、石灯籠95基、手水鉢9基がある。
51基の墓石のうち大半は五輪塔で34基を数え、他は板石13基、笠塔婆3基、宝篋印塔が1基である。この内、板石は寛永期から寛文期までの古い時期と、文政期以降の新しい時期に見られる。
当主及び室の墓石を見ると、初代広家、10代経札、11代経章、12代経幹、経幹室の5名が板石であり、高さ280~315㎝の規模である。他の当主及び室は、いずれも五輪塔で、高さ331~389㎝の規模を測る。広家の母吉川元春室の墓石は、やや小振りで高さ260㎝を測る。この墓石は、慶長期の五輪塔で、元々万徳院(横山)にあったものを、明治初年に現在位置に移したものである。
当主の子女の墓石は、広家及び広正の子女の合葬墓(明治初期に造られる、墓石番号31)や明治以降に造られたと見られる広正の子息の墓(墓石番号33・34)などが板石であり、また、広家十七女宮鶴姫の墓石(墓石番号45)が唯一の宝篋印塔であるのを除いて、大半は五輪塔で、高さ122~210㎝の規模を測る。
側室(妾)の墓石は、五輪石2基、板石2基であり、うち3基は高さ194~215㎝を測るが、高さ132㎝の板石墓石(広家、広正の妾の墓、墓石番号38)は明治以降の合葬墓である。
石灯籠及び手水鉢のなかには、12代経幹夫妻の墓所にある「誰が袖の手水鉢」と初代広家墓所にある「みみずくの手水鉢」など、優れた工芸品も遺されている。前者は京都の小掘家から贈られたと伝えられる遠州好みの手水鉢である。幕末安政3年に本藩毛利敬親と12代経幹が手を結んだとき、横山の御館にあったものを萩に持参したと伝えられ、本品はその写しとされている。また、後者は芸州藩の家老であり茶人でもあった上田宗箇が広家に贈ったと伝えられるもので、長く今津の淨浄念寺にあったものを明治40年に現在地に移したものである。」 山口県庁 文化財要録における、配信内容に関する、説明をしていただいた。
以上の引用は、山口県庁 ホームページの下記より、
1. 指定文化財の検索(一覧から選ぶ)>
2.文化財の概要>
3.文化財要録
また、平成29年9年9月21日、山口県岩国市吉川史料館 原田史子学芸員様との連絡 対応を持った後、山口県岩国市文化財保護課職員と対談し、山口県教育委員会社会教育・文化財課文化財保護班伊原慎太郎主査とも、私は対談をいたしました。その後、山口県萩市総務企画部総務課秘書室主査の許へ 私は連絡を入れて、萩市農業委員会による、その私に対する農政対応あるため、山口県萩市長並び、萩市総務部より、国内における各文化財 保存・維持活動に関し、その善処を求めています。
「 祭 政 一 致 」
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コロナ集中対策を延長 広島県、1月17日まで 外出削減要請、廿日市市と府中、海田、坂の3町に拡大
2020/12/25 22:55 中国新聞デジタル 配信より
広島県は25日、来年1月3日までとしてきた新型コロナウイルスの集中対策期間を、2週間先の同17日まで延ばした。これまで広島市民に限っていた外出機会の削減などの要請を、廿日市市と府中、海田、坂の県内3町の住民に拡大。感染経路で家庭内が疑われる割合が増えているとして、県民には新たに、家庭内で感染を防ぐ対策の強化を促した。
広島市中、南、西区のそれぞれ一部のエリアで酒を出す飲食店に今月17日から要請している営業時間の短縮では、効果を見極めるとして延長判断を先送りした。来年1月3日までとしていた期限を同月中旬まで延長する方向で引き続き調整を進めており、湯崎英彦知事は年内にあらためて判断する考えを示した。
県庁で開いた県幹部の対策会議で決めた。湯崎知事は終了後、集中対策を始めた今月12日以降の感染状況について「高止まりし、まだ減少傾向は見られない」と危機感を表明。年末年始の感染状況を分析するために延長幅を2週間にしたとして、県民へ協力を呼び掛けた。
県は延長に伴い、広島市向けだった対策の対象に1市3町を加えた。住民には2市3町以外と行き来する帰省を自粛するよう要請。できる限り外出する機会を減らし、同居家族以外での会食を控えるよう求めた。飲食店には、換気など3項目の対策徹底を迫った。
県民には、家庭内での感染を防ぐための対策を強めるよう促した。具体策として、帰宅時にうがい・手洗いと洗顔をして着替える▽別のテーブルで食事する▽タオルの共用を避ける▽スマートフォンや携帯電話を拭く―などと細かく例示。県のホームページ(HP)に一覧を掲載している。
県によると、県内の24日までの1週間の新規感染者数(10万人当たり)は23・1人で、東京都、神奈川県に続いて全国3番目に高い。24日の感染者数(10万人当たり)は広島市で73・9人、広島県で41・9人となり、いずれも政府の分科会が示すステージ4(感染爆発)の指標の一つ(25人)を大幅に超えている。
また県は集中対策期間の延長に伴い、「Go To イート」のプレミアム付食事券の新規販売の一時停止を来年1月17日まで延ばした。「Go To トラベル」は全国一時停止が終わる同11日以降も、2市3町を同17日まで除外すべきだとして、国と協議する。(宮野史康)













































