函館市を訪れる観光客数好調 今年度上半期342万人余// 函館 乃木神社 創立110年 |
函館市を訪れる観光客数好調 今年度上半期342万人余
NHKニュース 配信より
函館市を訪れる観光客数好調 今年度上半期342万人余 | NHKニュース 配信より
ことし9月までの今年度の上半期に函館市を訪れた観光客は、342万人余りと、年度を通じて過去最多だった昨年度の上半期とほぼ同じ水準となりました。
函館市によりますと、ことし4月から9月までの今年度の上半期に函館市を訪れた観光客は、およそ342万7000人で、年度を通じて過去最多となった、昨年度の上半期とほぼ同じ水準となっています。
観光客のおよそ6割が宿泊を伴う日程で、1人あたりの平均宿泊日数は1.37泊と、前の年の同じ時期をやや上回りました。
また、外国人宿泊客はおよそ22万6000人と、上半期として過去最多となり函館市は東京や大阪、京都といった「ゴールデンルート」以外の地方都市に足を運ぶ人が増えていることや、函館と海外の都市とを結ぶ直行便が増えたことなどが要因と分析しています。
外国人宿泊客を国や地域別でみると、最も多かったのは
▽台湾の10万5800人余りと46.9パーセントを占め、
▽中国の3万1000人余り
▽韓国の1万6400人余りと続きます。
函館市は「このままのペースが続けば、昨年度を上回って過去最多の観光客数が期待できる。ただ、函館空港は中国からの直行便はないものの、日中関係がどのように影響するか注視が必要だ」としています。
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北海道/函館市
函館乃木神社
ハコダテノギジンジャ
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強く生き寄り添う夫婦二人に贈る文武の心
北海道函館市に鎮座し、明治時代の軍人・乃木希典(のぎまれすけ)将軍と、その妻である静子婦人を神様として祀っている「函館乃木神社」。幕末から大正時代に生き、学問と武道の両方を備え大きな功績を残した乃木将軍は、学習院院長を務めた教育者としても知られており、文武両道、学問、勝運の神様として信仰されている。生涯を添い遂げた夫婦を祀る神社では「つれそひ守」「よりそひ守」といったお守りや、婚姻届け付きの御朱印セットを頒布しており、夫婦円満・家庭円満を願って訪れる人も多いという。
函館乃木神社
ここは押さえておきたい、プチ歴史!
2026年(令和8年)に創立110年を迎える。新設された参集殿をはじめ、歴史の若い神社の境内は洗練された雰囲気が漂う。
生前に乃木希典将軍は函館市には訪れていないが、この地に住む有志の篤い思いから建立された。
書道のワークショップやマルシェ、ジャズコンサートなどを開催しており、地域の憩いの場として多くの人に愛されている。
神社の見どころポイント
Point1
社のシンボルである樹齢約120年の大ケヤキ
境内に立つ樹齢約120年の大きなケヤキは、神社の創建とともに時を重ねてきたシンボル的な存在です。真っすぐ空に向かって立ち、凛とした力強さと穏やかさを持つ御神木は、それぞれの時代と人々を見守り続け、参拝に訪れる人々の願いに寄り添ってくれます。
Point2
マタニティマーク入りの「すこやか安産守」
安産の願いを込めた「すこやか安産守」はマタニティマーク入りの可愛らしいデザインが好評です。母子の健康を守り、赤ちゃんの誕生を願うみんなの思いが重なる温かなお守りは、家族から妊婦さんへの贈り物としてもおすすめです。
旅路に刻まれる和の印影
御朱印
通常の御朱印のほか、春に境内を彩る桜、涼やかな夏詣、例大祭など、季節や行事・祭礼にちなんだ限定の御朱印も不定期で頒布。カラフルな印や可愛らしいイラストが描かれることもあり人気を集めている。
年中行事
開催月 行事 時間
毎月1日
毎月13日 月次祭
1月1日 歳旦祭
1月3日 元始祭
1月7日〜1月11日 どんど焼き
2月 節分祭
節分の日に開催
2月17日 祈年祭
6月30日 夏越の大祓式
6月中旬 例大祭
9月13日 東京本社 例祭
11月23日 新嘗祭
12月31日 大祓式
〇 皇室典範―明治の起草の攻防から現代の皇位継承問題まで (中公新書)
笠原英彦/中央公論新社
〇 天皇と皇室の近現代史:思想・制度・外交
笠原 英彦,小川原 正道/慶應義塾大学出版会
〇 帝室論: デジタル復刻
福沢諭吉/Independently published
〇 帝室論解説
神樹宮上総進兵衛玉義/Independently published
〇 福沢諭吉の日本皇室論: 現代語訳 原文付き
福沢 諭吉/島津書房
〇 ジョオジ五世伝と帝室論
小泉 信三/文藝春秋
〇 現代語訳 帝室論
福沢諭吉,フリーダイバージョージ/
〇 福沢諭吉の横顔 (Keio UP選書)
西川 俊作/慶應義塾大学出版会
〇 労働市場 (1980年) (日経文庫 経済学入門シリーズ)
西川 俊作/日本経済新聞社
〇 宰相夫人の昭和史
上坂 冬子/文藝春秋
〇 佐藤寛子の「宰相夫人秘録」 (1974年)
〇 佐藤栄作日記 全6巻セット
佐藤 榮作,伊藤 隆 監修/朝日新聞社
〇 湛山日記―昭和20~22年 (1974年)
石橋 湛山/石橋湛山記念財団
〇 石橋湛山日記
石橋 湛一,伊藤 隆/みすず書房
〇 今なぜ石橋湛山か―週刊東洋経済eビジネス新書No.486
週刊東洋経済編集部/東洋経済新報社
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屯田兵の日露戦争の活躍を知らないと北海道開拓史は理解できない
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■屯田兵は日露戦争勝利の立役者
明治37(1904)年の日露戦争の勝利によって日本は欧米列強から独立を守りました。この民族の運命をかけた一戦に主力となって活躍したのが屯田兵です。
屯田兵制度は明治37(1904)年に廃止になりましたが、戦況が不利になると、後備役兵として第七師団に召集され、乃木希典大将が指揮を執る第三軍に所属しました。
二〇三高地の激闘で知られる旅順攻略戦の主力として活躍し、ロシアとの天下分け目の決戦となった奉天会戦では戦況を変える左翼迂回軍として勝利をもたらしました。
奉天会戦の勝利がいかに大きなことだったかは、奉天会戦に勝利した3月10日が「陸軍記念日」となっていたことでも知られます。
この勝利の立役者となったことで第七師団は〝最強師団〟と名をほしいままにしましたが、その本体は屯田兵だったのです。
【二〇三高地攻略を指示した第七師団への命令書】
アジア歴史資料センター
明治37年(1904年)12月4日午後4時付で、第三軍司令官の乃木希典大将の名義で出された命令。
翌日の12月5日に第七師団が203高地西南部に突撃し、ここを占領するとしている。
(出典:国立公文書館「アジア歴史資料センター」)
第三軍命令 十二月四日午後四時於柳樹房
一、第七師団ハ明五日午前九時頃ヲ以テ二○三高地西南部嶺頂ニ向ヒ突撃ヲ決行シ同地ヲ奪取スル筈ナリ
二、第一師団、攻域砲兵及野戦砲兵第二旅団ハ従来ノ任務ニ基キ第七師団ノ攻撃ヲ援助シ且ツ他方面ノ敵ヲ牽制スベシ
三、第九、第十一師団ハ引続キ前面ノ敵ヲ牽制スベシ
四、攻域砲兵司令官ハ第七師団攻撃ノ進捗ニ応シ状況之ヲ許ス限リ二○三高地西南部ニ設備セル観測所ヲ利用シ可成多クノ砲@ヲ使用シ時期ヲ失ワスシテ港内敵艦ニ対スル砲撃ヲ開始セシムヘシ 第三軍司令官男爵乃木希典
■北海道の英雄となった屯田兵
昭和40年代まで屯田兵といえば道民の誇り、敬愛の的でした。それは北海道開拓の尖兵として開墾に従事したこと以上に日本を救った日露戦争の英雄だったからです。そして屯田兵の活躍によって、どこか本州に対して気後れするところのあった北海道移民が自信を持って北海道民として自らを語れるようになりました。
屯田兵制度は明治37(1904)年に終わりましたが、屯田兵の存在は日露戦争の英雄となったことでむしろ戦後に大きくなりました。元屯田兵たちは道内各地で英雄としてリスペクトされ、地域の指導者として活躍するからです。
■分断された日露戦争と屯田兵
しかし、それから120年、屯田兵と日露戦争は分断され、両者の関わりはまったくといっていいほど語られなくなりました。その結果、屯田兵はかつての存在感を失っています。
「北海道開拓倶楽部」は北海道開拓の誇りを取り戻すことを目的としています。そのためにも日露戦争と屯田兵の関わりを再認識し、屯田兵が北海道はもとより日本の発展に果たした役割を再確認する必要があると思います。
このためサイト内研究プロジェクトとして「屯田兵の日露戦争」を立ち上げます。屯田兵ならびに第七師団と日露戦争、日露戦争後の元屯田兵士の活躍などについて調べたことを順次こちらに掲載していきます。よろしくお願いいたします。
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乃木希典の直筆手紙発見 「戦死者多く」と自責
日露戦争の陸軍司令官
2012年1月14日 20:19
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日露戦争の陸軍司令官、乃木希典(1849〜1912年)=写真=の直筆の手紙が札幌市内で見つかった。戦争で跡継ぎをなくし、知人から養子を勧められていた乃木だが、多くの兵士を死なせた自責の念から、養子縁組せずに乃木家を断絶させる覚悟をつづっている。
手紙は1910年7月6日の消印で、学習院院長をしていた乃木が広島市の修道中学校校主の佐藤正宛てに送ったもの。
乃木は日露戦争(1904〜05年)で中国の旅順攻略を指揮した際、約6万人の戦死傷者を出し、息子2人も失った。手紙には、多くの兵士を死なせ天皇陛下や遺族に申し訳なく、跡継ぎのための養子は考えておらず「小生共一代」で終わると記述。息子の戦死で「面目を保った」との思いも明かしている。
1935年ごろ巻物に仕立てられた際に、旅順攻略で参謀中佐として乃木に従った伊豆凡夫や、体験を基に旅順戦を描いた「肉弾」の著者、桜井忠温らが、直筆だと証明する署名を添えている。
札幌市内で見つかった、日露戦争の陸軍司令官乃木希典の直筆の手紙
約20年前に札幌市の男性が市内の骨董店で手に入れた。3年前に伊藤書房(同市厚別区)が購入し、18日に札幌古書籍商組合の競りにかける。
評伝「乃木希典」の著書がある大浜徹也筑波大名誉教授は「乃木の抱えた重荷や、日露戦争後も遺族に寄り添って生きようとした思いが伝わる」と話している。
〔共同〕
〇 乃木希典将軍: 鳴呼 至誠の人
吉川 寅二郎/展転社









































